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奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編17章17-7本文
17章 17-7 信頼への呼びかけ
ACIM-Text- chapter17-7-1
事態のある側面に取って代えようとするものは、あなたに信が欠けているということを証明します。
事態そのものと問題点は同じところにあるのに、それをあなたは信じていなかったことを実証しています。
問題は信を欠いていた点であることは確かですが、あなたはこうしたことを、信をその源から離して別のところにおくことなので、やってみせたのです。
その結果、自分で問題点を見ていません。
あなたに、そのような問題は解決できるという信頼が欠けてさえいなければ、問題はなくなっていたでしょう。
なぜなら、あなたが理解するうえで障害になっていたものは取り除かれていたはずだからです。
そして、その事態はあなたにとって有意義なものになっていたはずです。
問題点を別のところへ移すとすれば、自分自身をそれから遠ざけてその問題を解決できなくしてしまうので、それを保つことになります。
ACIM-Text- chapter17-7-2
どのような事態にあっても、信頼して対処すれば解決できない問題は一つもありません。
問題点の側面をどう移しても、解決を不可能にするだけのことです。
なぜなら、問題の一部を別のところに移すと、問題点が意味を成さなくなるからです。
それに、問題の解決策というものは、問題そのものの意味に固有のものです。
あなたの問題は全て解決されていても、その解決策から自分で自分を遠ざけている可能性はないでしょうか。
とはいえ、何かが行われ、それが成されたと分ると、そこには信頼心が芽生えるに違いありません。
ACIM-Text- chapter17-7-3
ある一つの事態には、人と人との関わりがあり、そこにはいろいろな思いが入り交じっています。
もし、問題があると知覚するなら、それはそうした思いには相いれないところがあると判断したからです。
しかし、真理をゴールにしているとすれば、こうしたことは有り得ません。
とすれば、 身体に関する考えが何か入り込んだに違いありません。
なぜなら、心は攻撃できないからです。
身体のことを思い付くとは信頼する気がないというしるしです。
それというのも、 身体はどんなことも解決できないからです。
そのような思いが関係に押し入り、現事態について思い違いしているということなので、それが続いてあなたの信頼心のなさを正当化することになります。
あなたは、こうした間違いをしてしまうでしょうが、そのことで心配することは少しもありません。
間違いは大したことではありません。
信のなかったものが信頼するようになって、それが真理の邪魔になるようなことは絶対にありません。
しかし、信のなさを真理に逆らって利用すれば、必ず信をくじくことになります。
自分に信が欠けているのなら、それを失ったところに回復させて欲しいと頼むことです。
そして、自分はそれを不当に奪われてでもいたかのように、その償いを他のところでしようとしないことです。
ACIM-Text- chapter17-7-4
どんな事態であれ、そこに何か欠けているとすれば、それは単に自分で与えていないものだけです。
しかし、神聖になるというゴールはあなたの関係のために定められたのであり、自分で定めたのではないということを覚えておきなさい。
あなたが定めたのではないというのは、神聖なるものを見るには信頼して見るしかないからです。
それに、あなたは自分の心を制限して兄弟をほとんど信頼していなかったので、あなたの関係は神聖だったとは言えません。
定められたゴールに達するには信を深める必要があります。
そのゴールが実現すると、こうしたことを呼び起こしてくれるようになりますが、それは心の平安と信は別々に生じるものではないということが分るようになるからです。
兄弟を信頼していなくても忠実でいられるとすれば、あなたはどんな状況にいるのでしょうか。
ACIM-Text- chapter17-7-5
自分の置かれた状況がどんな事態であれ、どれも全て、あなたの関係のために定められた目的に達するための手段に過ぎません。
それ以外の何かだと見るなら、信頼していないことになります。
自分が信頼してない状態にあることを利用しないようにしなさい。
そのような状態を意識し落ち着いてよく見なさい。
ただし、それを利用してはなりません。
信のない状態は、いわば幻想のしもべであり、その主人に対しては実に忠実です。
利用すれば、直ちに幻想の支配下へ連れていってくれます。
その状態が差し出すものにそそのかされたりしないようにしなさい。
それはゴールそのものの邪魔になるのではなく、そのゴールがあなたにとって価値あるものになるのを妨げます。
信のない状態が平安だという幻想を差し出しても受け入れたりしないで、その差し出されたものをよく見て、それは確かに幻想だと認めることです。
ACIM-Text- chapter17-7-6
幻想のゴールは、信と真理とがそうであるように、信のない状態と密接な繋がりがあります。
真理に向って進むために捧げられたどんな事態においても、その中で誰もが自分の機能を果たし、それも完全に果たすものと、もしあなたが信頼できないとすれば、それに専念しているというあなたの心も分離しています。
それ故に、あなたは兄弟を信頼していないうえに、自分の信のなさをその人に不利になるように使ってしまいました。
どんな関係にせよ、その神聖さがどこにでも伴われないなら、聖なる関係とは言えません。神聖さと信は手に手を取って行くので、その信はどこにでも伴われなければなりません。
ゴールとするものの真実性が、その達成に必要な奇跡を呼び起こし、ことごとく成し遂げます。
何一つ小さすぎず大きすぎず、弱すぎず強すぎず、ただ穏やかに利用目的に向けられるだけです。
全宇宙がそのゴールのために喜んで役立ち、同様にそれが全宇宙の役に立ちます。
ただ、邪魔をしないことです。
ACIM-Text- chapter17-7-8
聖霊のゴールが確立されている者に備わった力は、無限なるものについてあなたが抱いた粗末な概念を遥かに越えたものなので、自分に備わっている強さがどれほど偉大なものかあなたには全く見当がついていません。
しかも、あなたはこれほどの力を実に安全に使えます。
しかし、その全勢力が数々の星を通り越えて広がる宇宙にまで届くほど偉大だとしても、あなたの気が小さくて信がないなら無駄になります。
これは、もし、あなたがその力ではなくて信のなさを使うつもりだとすればの話です。
ACIM-Text- chapter17-7-9
しかし、一つ考えてみて、信が持てない原因を分ってほしいことがあります。
それは、あなたが自分は兄弟にされたことを持ち出して非難しているのだと思っているということです。
ところが、実際その人のせいにして咎めていることは、あなたがその人にしたことです。
その人の過去ではなく、自分の過去を持ち出してその人を非難しています。
つまり、その人を信頼しないのは自分のせいです。
しかし、あなたは自分がどうだったということについては無垢であり、それは兄弟にしても同じことが言えます。
実在しなかったことの原因はわからなく、真理の妨げになろうにもなりようがありません。
信のない状態になる原因はありませんが、信頼するための原因があることは確かです。
その原因は自らの目的を分け合っているといえる事態なら、そのどれにも入っています。
真理の光は、そうした事態の中心から輝き出て、その事態の目的が招く者たち一人ひとりに達します。
それには、誰もがみな招かれています。
どんな事態であれ、あなたの関係を全面的に、それも全ての面において、またそれぞれの部分を完全に巻き込まずにいるものは一つもありません。
自分自身に関することを何か一つでも除外視しておいて、そうした事態を神聖に保つことはできません。
なぜなら、その事態はあなたの全関係の目的を分かち合っており、そこから関わり合う意義というものが引き出せるからです。
ACIM-Text- chapter17-7-10
一つひとつの事態に兄弟を信頼して入りなさい。
さもないと、あなたは自分自身の関係を信頼していないことになります。
あなたの目的が自らの信を呼び起こしたように、その信はあなたの目的を分かち合うようにと他の者を招くようになります。
そうすると、かつて自分を幻想に導くために使った手段が真理へ導くための手段に変えられたと分るでしょう。
真理に達するには信を要し、信があれば真理を受け入れる気になります。
聖霊が、あなたの目的を 聖霊のと交換して、あなたの関わる関係の目的を変えた時、そこに掲げたゴールはあなたの現事態やこれから入る全ての事態に拡張されることになりました。
こうして、どんな事態もことごとく過去から解放されたわけです。
さもないと、過去のことがそうした事態の目的を失わせていたでしょう。
ACIM-Text- chapter17-7-11
あなたは、どのような事態にあっても共に歩んでくれる存在のお蔭で、信を招くのです。
あなたはもはや完全に正気を失っている訳ではなく、一人ぽっちでもありません。
なぜなら、神の内にあって寂しさを感じるなら、夢を見ているに違いないからです。
聖霊のゴールを分かち合う関係にあるものは、真実の姿に接しているので寂しさとは縁がありません。
信頼するようにとの招きは強いのです。
信のなさでそれに逆らおうとしないようにしなさい。
なぜなら、あなたは 救済と平安へと招かれているからです。
奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編17章「癒しと神聖な関係」目次