Contents
- 奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第25章「神の正義」25-8本文
- 第25章25-8 愛へと戻される正義
- ACIM-Text-chapter-25-8-1
- ACIM-Text-chapter-25-8-2
- ACIM-Text-chapter-25-8-3
- ACIM-Text-chapter-25-8-4
- ACIM-Text-chapter-25-8-5
- ACIM-Text-chapter-25-8-6
- ACIM-Text-chapter-25-8-7
- ACIM-Text-chapter-25-8-8
- ACIM-Text-chapter-25-8-9
- ACIM-Text-chapter-25-8-10
- ACIM-Text-chapter-25-8-11
- ACIM-Text-chapter-25-8-12
- ACIM-Text-chapter-25-8-13
- ACIM-Text-chapter-25-8-14
- 奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第25章「神の正義」目次
- 奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第25章「神の正義」25-8本文
第25章25-8 愛へと戻される正義
ACIM-Text-chapter-25-8-1
聖霊は、あなたが 聖霊に差し出すものの全てを、あなたの 救済のために用いる事が出来ます。
しかし、あなたが差し出そうとしないものを用いる事は出来ません。
あなたにその意欲がないままの状態で、それをあなたから取り上げるという事は出来ないからです。
もし 聖霊がそのような事をしたら、あなたは自分の意に反してそれを取り上げられたと感じるでしょう。
そうなるとあなたは、それを持たない事が確かに自分の意志だという事を学ばない事になります。
あなたは、それを完全に自分から進んで 聖霊に与える必要はありません。
もしそれが出来ているならば、あなたに 聖霊は必要ないからです。
しかし、 聖霊には次の事が必要です。
それは、あなたがそれを自分ひとりで保持しておくより、 聖霊が取ってくれる事を望んでいるという事です。
また、誰にも損失をおよぼさないというものが、自分には分からないと認識することです。
あなたが利益を得るために、他の誰かが損をする事は有り得ないという考えに加えて、ここまでが必要です。
これ以外には何も必要ありません。
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これが、 救済が必要とする唯一の原理です。
また、あなたがそれに対して抱くあなたの信が、強力で揺るぎないものである必要はなく、それに対するあらゆる信念から攻撃がなくなっている必要もありません。
あなたには不動の忠誠心はありません。
しかし、すでに救われた者には 救済は必要とされない事を思い出しなさい。
あなたは、自らの内部で分裂し争う者が不可能だと思えるような事を行なうように求められている訳ではありません。
そうした状態の心の中に叡智を見出せるようになる、などという信をおいてはなりません。
しかし、あなたにはほんの少しの信しか求められていない事に感謝しなさい。
依然として罪を信じている人には、僅かな信以外に何が残っているでしょう。
天国や救われている者たちの正義について、その人たちが何を知る事が出来るでしょう。
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救済の中には、この世界が全く知らないような、正義があります。
この世界では、正義も復讐も同じものです。
なぜなら、罪人の目に映る正義とは、自分の罪に対する懲罰であり、それを持続されているのは自分以外の誰かかもしれませんが、逃れる事の出来ないものだからです。
罪の法則は犠牲者を要求します。
それが誰であるかは殆ど問題にはなりません。
しかし、死がその代償でなくてはならず、それは必ず支払われなければなりません。
これは正義ではなく、単なる狂気です。
とはいえ、愛が憎しみの事を意味し、死とは永遠と時間を超越した状態と生命に対する勝利や征服であると見なされている場所で、狂気を伴う事なくどうやって正義を定義する事など出来るでしょうか。
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正義について知らないあなたでも、それについて尋ね、その答えを学ぶ事が出来ます。
正義はあらゆるものを同じように見ます。
誰かが持っているがゆえに、他の人に欠けているなら、それは公平ではありません。
どのような形を取ろうと、それは報復です。
正義はいかなる犠牲も要求しません。
なぜなら、犠牲とは、罪が温存され保持されるように差し出されるものだからです。
それは罪の代価として支払われますが、それが代価の全額ではありません。
未払い分は他の人から徴収され、あなたが手放さずにとっておこうとするものの全てを「贖う」ために、あなたの僅かな支払いに添えて献上されます。
なので、犠牲者というのは、その一部を占める自分と、それより遥かに大きな部分を占める他者からなると見なされます。
そして、全体として見れば、他者が支払う分が多いほど、自分の支払う分は少なくなります。
しかも、盲目の正義とは、支払いを受ける事で満足し、誰から支払いを受けるかは問題としません。
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これが正義といえるでしょうか。
神はこのような事は知りません。
しかし、正義については知っていて、しかも充分に知っています。
なぜなら、神は全ての者に対しても完全に公平だからです。
神が正義を知っているからこそ、復讐は神の心とは異質なものなのです。
公正であるとは、公平である事であり、復讐心を抱く事ではありません。
公平さと復讐は両立不可能です。
どちらも互いに矛盾し、他方が実在する事を否定するからです。
特別性を思い浮かべる事の出来る心を持って、あなたが 聖霊の正義を分かち合う事は不可能です。
しかし、もし 聖霊が罪を犯していないにも関わらず自分で犯したと思っている人を罪人として咎めるとしたら、 聖霊が公正であり得るでしょうか。
もし 聖霊が、懲罰の概念に取り憑かれた人達に対して、助けも借りずにその概念を脇において、それが真実ではない事を知覚するようにと要求したりすれば、いったいどこに正義があると言えるでしょう。
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いまだに罪に意義があると信ている人たちとっては、 聖霊の正義を理解することは極めて難しい事です。
その人たちは、自分たちの混乱を 聖霊もまた分かち合っていると信じずにはいられず、正義に対するその人達自身の信念が必然的にもたらす復讐を回避する事は出来ないと信じる事になります。
したがって、その人達は 聖霊を恐れ、 聖霊の中に神の「怒り」を知覚します。
また、神ご自身の怒りの御手が、天国の「炎」から作り出された稲光を持って、 聖霊が自分達を打ちのめしに来る事はないと信じる事も出来ません。
その人たちは、天国が地獄であると信じていて、愛を恐れています。
だから、自分達が一度も罪を犯した事はないと教えられると、深い猜疑心と恐怖の悪寒に襲われます。
その人たちの世界は、罪の安定性に依拠しています。
そして、その人達は、神が正義として知っているものの「脅威」の方が、自分が理解し愛している復讐よりも、自分自身にとって、また自分の世界にとって破壊的であると知覚します。
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したがって、その人達は罪が失われる事は呪われる事だと考えています。
そして、まるで 聖霊が天から遣わされた地獄からの使者であって、背信と狡猾さによって解放者と友人を装いながら神の復讐を行う者であるかのように、その人達は 聖霊から逃れようとします。
その人たちにとっては、 聖霊は天使の衣をまとって欺こうとする悪魔以外の何物でもありません。
そして、 聖霊がその人達のために用意している脱出口は、天の門のように見える地獄への扉以外の何ものでもありません。
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しかし、正義は罰を求める者達を罰することは出来ません。
正義はただ、真理においてその人たちは完全に無垢で無罪であると知っている裁判官を擁しています。
正義において、 聖霊にはその人達を自由にする義務があり、その人達が公平ではなく自らの無垢性を理解出来ないが故に、自分に相応しいにも関わらず自ら否定してきた栄誉の全てを、その人達に与える義務があります。
愛は罪人にとっては理解不可能です。
なぜなら、罪人は、正義は愛から切り離されたものであり、何か他のものの表していると考えているからです。
こうして、愛は弱いものであり、復讐は強いものであると知覚されます。
なぜなら、審判が愛に味方しなくなった時に愛は敗北したのであり、罰から救い出してもらうには、愛は弱すぎるという事になるからです。
しかし、愛がなくなった復讐は、愛から分離し隔離される事で強力になったことになります。
愛が正義と活力を奪われ、打つ手もなく救い出す力もなく弱々しくたたずんでいる時、復讐以外に何がその人達を助け、救う事が出来るでしょう。
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こうした事の全てが真実だと考えているあなたに、愛は何を求める事が出来るでしょう。
自分には与えるべき多くのものがあるというあなたの混乱した考えを、正義と愛の内にある 聖霊が信じることなどできるでしょうか。
あなたは、 聖霊をそれほど多く信用するように求められている訳ではありません。
求められているのは、 聖霊が何を自分に差し出しているかを見て、自分は何を自分に与える事が出来なかったかを認識する、というところまでです。
神ご自身の正義において、 聖霊はあなたが受けるに値するものの全てを認識していますが、あなたが自分でそれを受け入れることが出来ない事もまたよく理解しています。
無垢なる者が受けるに値する贈り物をあなたに向かって差し出す事が、 聖霊の特別な機能です。
そして、あなたが受け取る贈り物の一つひとつが、あなただけでなく 聖霊にも喜びをもたらします。
聖霊は、あなたが一つ贈り物を受け入れるたびに、天国がより豊かになる事を知っています。
愛に満ちた正義が、神の子に受け取る権利があると知っているものを神の子が受け取る時、神は喜びます。
なぜなら、愛と正義には何の違いもないからです。
その二つが同じものであるからこそ、慈悲が神の右に立ち、神の子に自らの罪を赦す力を与えるのです。
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あらゆるものを受けるに値する者に対して、どうして何かがその人から遠ざけておかれるなどという事が可能でしょう。
そのような事は、本人がそれをどれほど認識していないとしてもその人の内に存在している聖性ゆえに、全く不公平かつ不正義な事です。
神はいかなる不正義も知りません。
神の子の死を追求し、神の子の価値が全く見る事の出来ない者たちに、神は我が子を審判させたりはしません。
その人たちのために語るどのような正直な証人を、その人達が召喚できるでしょう。
いったい誰が、その人の生命を奪うためではなく守るための抗弁をしにやってくるでしょう。
あなたによってその人に正義が与えられる事はないでしょう。
しかし、神は愛する我が子の上に正義が行なわれるようにして、あなたが復讐こそその人が受けるに相応しいと信じてその人に与えるかもしれない不公平の一切から、その人が正義によって守られる事を保障しました。
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特別性は、罪の代価が支払われる限り、誰がそれを支払おうと気にかけません。
それと同様に、 聖霊は無垢性が見られて認識される限り、最後に誰がそれを見るかは気にかけません。
真に見る者であれば、証人はただ一人だけで充分だからです。
単純な正義は、それ以上は何も求めません。
聖霊は一人ひとりに、正義が愛に戻りそこで満足出来るように、その一人になるつもりがあるかどうかを尋ねます。
聖霊が割り当てるそれぞれの特別な機能は、一人ひとりが愛と正義は分離したものではないと学ぶためのものに他なりません。
愛と正義は両方とも、互いの融合によって強化されます。
愛が伴わなければ正義は偏見に満ちた弱々しいものです。
そして、正義の伴わない愛は有り得ません。
なぜなら、愛は公平であり、原因もなく懲らしめるような事は出来ないからです。
無垢である者に対する攻撃するような、どんな原因があり得るでしょう。
それ故に、愛は正義において間違いを訂正するのであり、復讐において訂正するのではありません。
復讐は無垢性にとって公正ではないからです。
ACIM-Text-chapter-25-8-12
神の子が復讐に値する事は有り得ないと理解するなら、あなたは愛と正義の力の完璧な証人になる事ができます。
あなたは、これが真実である事を、全ての状況において知覚する必要はありません。
また、それをこの世界における自分の体験の中に見ようとする必要もありません。
そのような経験は、単にあなた自身の中で真に起こっている全ての事の影に過ぎません。
あなたに必要とする理解は、あなたから来るのではなく、より大きな自己からやってきます。
それは、あまりに偉大で神聖であるため、自らの無垢性を疑う事が不可能なほどの自己です。
あなたの特別な機能は、その自己へのあなたからの呼び掛けです。
それは、あなたの無罪性を分かち合うその自己が、あなたに向かって微笑みかけてくれるようにと招くものです。
その自己の理解は、あなたの理解となるでしょう。
そのようにして、 聖霊の特別な機能は果たされた事になります。
神の子は、自らの罪ではなく、自らの無罪性の証人を見つけたのです。
単純な正義を与えてもらうために、あなたが 聖霊に与えなければならないものは何と僅かな事でしょう。
ACIM-Text-chapter-25-8-13
偏る事なく公平である事がなければ、正義は存在しません。
特別性が公平だという事が、どうしてあり得るでょう。
裁いてはなりません。
というのは、あなた自身が惨めな罪人だという理由ではなく、あなたを裁く事が出来ないからです。
全ての人にとって正義は同じものである事を、特別な者がどうして真に理解できるでしょう。
或る人から取り上げて他の誰かに与える事は、その双方に対して不正義なはずです。
聖霊の目から見れば、その人たちは対等だからです。
その人たちの父は、どちらにも同じ賜物を授けました。
より多く、あるいはより少なく所有しようとする者は、自分が一切を有しているという事を自覚していません。
その人は、何が他の人に当然与えられるべきかを判断できる者ではありません。
なぜなら、その人は自分に与えられるべきものが奪われていると思っているからです。
したがって、その人は嫉妬し、自分が裁く相手から奪おうとせずにはいられません。
その人には偏りがあり、自分自身の権利がよく分らなくなっているが故に、公平に他者の権利を見ることが出来ません。
ACIM-Text-chapter-25-8-14
あなたは全宇宙に対する権利があります。
すなわち、神が聖なる神の子の為に定めた通り、完璧な平安、罪の結果からの完全な解放、全てにおいて完全で喜びに満ちた永遠の生命に対する権利があります。
これこそ天国が知る唯一の正義であり、 聖霊が地上にもたらすものの全てです。
あなたの特別な機能は、完璧な正義以外のものがあなたの為に為される事はないと、あなたに教えます。
そうして、あなたはあらゆる形の復讐から安全です。
この世界は欺きますが、神の正義をこの世界の正義で代用する事は出来ません。
なぜなら、愛だけが公正であり、神の子に正義が授けるものを知覚できるからです。
愛に決断させなさい。
そして、神の正義があなたに割り当てたものを、あなたが自らの不公平さゆえに自分自身から奪い取るかもしれないなどと、決して恐れてはなりません。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第25章「神の正義」目次