奇跡講座テキスト編26章26-5 小さな妨げ

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第26章「過渡期」26-5本文

 

第26章26-5 小さな妨げ

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奇跡はみな同じだと理解しない人たちには、一つの取るに足らない妨げが実に大きく見える事があります。

しかし、奇跡はみな同じだとを教えるためにこそ、この奇跡のコースの教えがあります。

これが、その唯一の目的です。

それだけが、学ぶべき事の全てだからです。

そして、あなたはそれを様々な異なった方法で学ぶ事が出来ます。

学びは全て、天国の門に達するための助けとなるか妨げとなるか、そのどちらかです。

その中間は有り得ません。

それぞれ異なった道を指し示す二人の教師がいるだけです。

そしてあなたは、自分で選んだ教師が導く道に沿って進むことになります。

時間が存続し、選択というものが意味のある間は、あなたが進む事が出来る方向は二つしかありません。

なぜなら、天国への道以外に、別の道が作られる事はないからです。

あなたは天国へ向かって進むか、それとも天国から遠ざかってどこにも行き着かないか、そのどちらかを選ぶだけです。

それ以外の選択肢はありません。

 

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時間以外に失われるものはなく、最終的には時間に意味などありません。

というのも、それは永遠の前の小さな妨げに過ぎず、この世界の真の教師にとっては全く無意味なものだからです。

しかし、あなたは明らかに時間を信じているので、学びが達成出来る最高のゴールに達するために時間を使えるという時に、どこにも行かずそれを無駄に費やすような理由があるでしょうか。

天国の門に至る道は険しいなどと考えてはなりません。

あなたが確かな目的と固い決意と幸福な自信を抱き、兄弟の手をとり、天国の歌に歩調を合わせて取り組む事であれば、難し過ぎて実行できない事は何一つありません。

しかし、無に至るだけの目的のない道を、一人で惨めに彷徨うのは、確かに困難な事です。

 

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神の教師を与えたのは、あなたが作り出した教師と入れ替えるためであり、それと争わせるためではありません。

そして、が入れ替えたいと思うものは、既に入れ替えられいます。

時間はあなたの心の中のほんの一瞬現れただけで、永遠に対しては何の影響も及ぼしてはいません。

それ故に、全ての時間は過ぎ去っていて、あらゆるものは虚無への道が作り出される前と全く同じです。

その僅かな一刻の間に最初の間違いが犯され、その一つの間違いの中で全ての間違いが犯された時、そこには最初の間違いとその中で派生した全ての間違いに対する訂正も含まれていました。

そして、その僅かな一瞬に時間は過ぎ去りました。

時間とは、それだけのものでしかなかったからです。

から答えを与えられたものは、答えを得て消え去っています。

 

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今なお自分が時間の中で生きていると信じ、それが過ぎ去っている事を知らないあなたにとっては、 聖霊は今もあなたを導く存在であり、既に過ぎ去って久しくともあなたが依然として時間の中に知覚している限りなく小さく無意味な迷路の中を先導します。

あなたは過ぎ去ったもの中で自分が生きていると思っています。

あなたが眺めているものはことごとく、遠い昔、その非実在性が真理に道を譲る前に、ほんの一瞬あなたに見えただけのものです。

あなたの心の中には、答えを得られないままに存続している幻想は一つもありません。

不確かさは遠い昔に確かさのもとへと運ばれたので、それがまるでまだ自分の前にあるかのように、胸にとどめておく事こそまさしく難しい事です。

 

 

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あなたが持ち続けて永久的なものにしようとしていたあの一瞬は、天国では瞬く間に過ぎ去り、それが現れた事に気づいた者さえいませんでした。

瞬時にして消滅し、神の子の単純な叡智に影響を及ぼす事さえなかったものは、そこに今もまだ存在しているはずはなく、それをあなたが自分の教師に選ぶ事は出来ません。

ただ過去においてのみ、すなわち遥か過去の、創造に応えて世界を作り出すにはあまりに短すぎた時間においてのみ、この世界が現れたかのように見えました。

それは遥か昔のこと、あまりに短い時間の枠で起こったので、天国の歌から一つでも音が抜け落ちる事はありませんでした。

しかし、その一瞬は、あたかも時間の中で再び作り出され得るものであるかのように、一つひとつの赦さない行為や考え、全ての裁きや罪への信念の中で、今もなお呼び戻されています。

あなたは遠い昔の記憶を、自分の目の前に留めているのです。

そして記憶の中にのみに生きる者は、自分がどこにいるか自覚していません。

 

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赦しは時間からの大いなる解放です。

それは、過去は終わっているという事を学ぶための鍵です。

もはや、狂気が語る事はありません。

他の教師も他の道も存在してはいません。

取り消されたものは、もはや存在していないからです。

いったい誰が、遠方の岸に立って、自分が海の向こうの既に消え去って久しい場所や時間に居ると夢見る事など出来るでしょう。

そのような夢が、その人が実際に居る場所に対し、どれほど実在性のある妨げになり得るでしょう。

その人が居る事は事実であり、その人がどんな夢を見ていようと、それは変わりません。

とはいえ、その人は相変わらず、自分がどこか他の場所と時間の中にいると想像することは出来ます。

極端な場合には、その人はこれが真実であるという妄想を自らに抱かせ、単なる想像から信念へ、そして信念から狂気へと突き進み、自分が居たいと思うところに確かに自分はいるものと確信を持つ事も可能です。

 

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これが、その人が立っている場所にとって妨げになるものでしょうか。

その人に聞こえるかもしれない過去からのこだま、それは今、その人が居る場所にあって聞こえているものの中では事実でしょうか。

そして、時間と場所についてのその人自身の幻想が、その人が実際に居る場所でどれほどの変化をもたらせるでしょう。

 

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赦されざるものとは、永久に過ぎ去った過去から呼び掛けてくる声です。

それを実在するもののように指し示す全ては、過去を再び実在させたいという願望であり、実際に今ここにあるものの代わりに、過去がここに今あるものとして見えて欲しいという願望に過ぎません。

これが、過去は去っていてあなたのもとには戻れないという真理にとって、妨げでしょうか。

そしてあなたは、天国が消え去って、が恐れるべきものとなり、あなたの憎しみを象徴するものとなったかのように見えたあの恐ろしい瞬間を取っておきたいのでしょうか。

 

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遥か昔に訂正され、取り消されている恐怖の時の事は、忘れてしまいなさい。

罪が神の意志に対抗できるでしょうか。

過去を見て、それを現在の中に置く事が、あなたに任されているという事があり得るでしょうか。

あなたは後戻りを出来ません。

そして、過去と向かう道を示す全ては、実相において達成される事のない使命へとあなたを送り出すだけです。

万物を愛する父が、必ずあなたのもとに訪れると保証した正義は、このようなものです。

そうして父は、あなた自身に対するあなたの不公平さからあなたを守ってきました。

あなたが迷うことはあり得ません。

というのも、の道以外に道はなく、あなたは以外のどこにも行き着く事は出来ないからです。

 

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遥か昔に時間についての記憶が過ぎ去っている旅路で、我が子を道に迷わせたりするでしょうか。

この奇跡のコースは、今存在するものについてのみ、あなたに教えます。

今では完璧に訂正されている遠い昔の恐ろしい一瞬は、気にする必要もなく、何の価値もありません。

死んで消え去ったものは、安らかに忘れ去られるままにしておきなさい。

その代わりに、復活が訪れています。

そして今、あなたは死ではなく復活の一部です。

いかなる過去の幻想にも、あなたを死の場所に繋ぎ止めておく力などありません。

神の子は、その死体置き場に一瞬だけ足を踏み入れて、瞬時にの完全なるへと呼び戻されました。

そして、遥か昔に取り外され永久に消え去っている鎖に、その人が繋がれているという事があり得るでしょうか。

 

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が創造した神の子は、が創造されたままに自由です。

生きる代わりに死ぬ事を選択したその人は、その瞬間に再生しています。

そして、その人が過去に犯した誤りは、が覚えている事はなく存在もしていないので、あなたは今その人を 赦してもいいのではないでしょうか。

今、あなたは過去と現在の間を行ったり来たりしています。

ときには、過去はまるで現在であるかのように実在するかのように見えます。

過去からの声が聞かれ、そこから疑われます。

あなたは、依然として幻覚を見てはいますが、自分で知覚するものに確信を持てない人とよく似ています。

これは二つの世界の間の境界地帯であり、あるいは過去と現在の間に架かる橋です。

ここには過去からの影が残っているとはいえ、現在の光もおぼろげながら認識されています。

ひとたびこの光を見たなら決して忘れる事は出来ません。

それはあなたを、過去からあなたが真に存在している現在へと必ず引き寄せる事になります。

 

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影たちの声は、時間の法則を変えることもなければ、永遠の世の法則を変えることもありません。

それらは過ぎ去って消えたものから生じており、今ここにある真の存在を妨げる事はありません。

実相世界とは、時間と死が実在していて知覚され得る実体を持っているという幻覚の第二の部分です。

その恐ろしい幻想は、神が全ての時とあらゆる状況に即応する答えを幻想与えるやいなや、否定されました。

その後は、それはもはや存在しなくなり、そこにあるものとして体験される事はなくなりました。

 

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毎日、毎分、刻一刻、あなたはただ恐怖の時間が愛の座を奪ったあの一瞬を繰り返し生きているだけです。

だからあなたは、過去と現在の間の、実際には実在しない隔たりを越える時まで、毎日、死んでは生き返り生き返っては死ぬということを繰り返しています。

個々の生命とはそのようなものです。

すなわち、生まれて死に、また生まれるという時間枠のように見えるものであり、遠い昔に過ぎ去ってもはや二度と生きる事が出来ない瞬間が繰り返されているものです。

そして、時間の全ては、既に終わったものがまだ今ここにあるという狂った信念に他なりません。

 

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過去を 赦し、それを手放しなさい。

それは確かに過ぎ去っているからです。

あなたはもはや二つの世界の間に横たわる地に立っているのではありません。

そこからさらに進み続け、天国の門の前に広がる世界に達したのです。

神の意志を妨げるものはなく、遠い昔に終わっている旅をあなたが再び繰り返す必要もありません。

兄弟を優しく見つめ、それからこの世界を眺めなさい。

そこでは、あなたの憎悪の知覚が愛の世界の近くへと既に変容させられています。

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第26章「過渡期」目次

26-1    一体性の「犠牲」

26-2    多くの形態、一つの訂正

26-3    境界地帯

26-4    罪が消え去った場所

26-5    小さな妨げ

26-6    定められた友

26-7     癒しの法則

26-8     救済の即時性

26-9     彼らが訪れたので

26-10      不正義の終わり

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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目次

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