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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第26章「過渡期」26-8本文
第26章26-8 救済の即時性
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あなたに残っている唯一の問題は、あなたは自分が赦す時と兄弟を信頼する事の恩恵を自分が受け取る時との間に、時間の差を見ているということです。
この事は、あなたが自分と兄弟が少し離れていられるように、互いの間に保持しようとしている少しのものを反映しているに過ぎません。
なぜなら、時間と空間は異なった形を取る同一の幻想だからです。
もし、その幻想があなたの心の外に投影されていれば、あなたはそれを時間として考えます。
それが実際に存在するところの近くにもってこられるほど、あなたはそれを空間という観念で考えるようになります。
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あなたは自分の兄弟とあなたとの間に一定の距離を保ちたいと考えていて、その空間を時間として知覚しています。
というのも、あなたは未だに自分がその人の外に居ると信じているからです。
これが信用を不可能にします。
また、あなたには、信頼が今全ての問題を解決するという事が信じられません。
こうした事から、別個のものとして知覚されたいくつもの利害に対して、少しだけ注意したり用心したりしている方が安全だと考えます。
このような知覚からは、今、 赦しが差し出しているものの恩恵を得る事など思いもよりません。
贈り物を与える事と受け取る事の間に存在するとあなたが思っている隔たりは、自分が犠牲を払い、損失を被る時間のように見えます。
あなたに見えているのは、いつか訪れる 救済であり、即時的成果ではありません。
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救済はまさしく即時的なものです。
そのようなものとして知覚しない限り、あなたは 救済という目的が自分のものとなってからその結果が訪れるまでの間に損失を被る危険性が高いと信じて、 救済を恐れる事になります。
こうした形の中では、恐れの源となっている誤りが依然として曖昧にされています。
救済は、確かにあなたが依然として互いの間に見ている空間を一掃して、あなた達を瞬時に一つになれるようにするでしょう。
ところが、あなたはここに損失があるのだろうと恐れています。
このような恐れを時間に投影してはなりません。
時間は、あなたが知覚しているような敵ではないからです。
あなたが時間を何のためのものとして見ているのかという事を除けば、時間とは 身体と同じように中庸なものです。
もし、あなたが自分と兄弟の間に依然として少しの空間を残しておきたいと思うなら、 赦しがしばらく与えずにおかれる少しの時間を望むでしょう。
こうしたことは、 赦しがあなたに与えずにおかれる時から与えられる時までの時間を危険に見せるだけであり、そこで恐怖が正当化されるのです。
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しかし、あなたとあなたの兄弟との間にある空間は、今、現在の中にだけはっきり見えるものであって、未来という時の中で知覚できるものではありません。
また、それは現在においてしか、見過ごされる事のないものです。
未来における損失は、あなたが恐れているものではありません。
しかし、現在においてつながり合う事については、あなたは恐れています。
いったい誰が、今以外の時に、惨めさを感じる事が出来るでしょう。
未来の原因に、結果はまだ生じてはいません。
したがって、もしあなたが恐れているとすれば、現在に原因があるはずです。
そして、訂正を必要としているのはこれであって、未来の状態ではありません。
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あなたが安全のために立てる計画というものは全てが未来に置かれていますが、未来の中で計画するという事は出来ません。
未来にはまだ何の目的も与えられてはおらず、未来に起こる事にまだ原因はありません。
原因がないにも関わらず、結果を予測できる人がいるでしょうか。
何らかの結果が引き起こされたと考え、その結果が悲惨なものだと、今、判断されたのでない限り、誰がその結果を恐れたりするでしょうか。
罪への信念は恐れをかき立て、その原因と同じように、未来に目を向けたり、過去を振り返ったりしますが、今ここにあることを見落としています。
ところが、もし既に結果は恐ろしいものだと判断されているとすれば、その原因は今ここにしかあり得ないはずです。
こうしたことを見落とす事で、その信念が保護され癒しから離れたままにされます。
奇跡とは、今なのです。
それは、罪と恐れが見落としている唯一の時間枠ですが、存在している時間の全てであるここ、すなわち現在の恩寵の中に、既に存在しています。
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全ての訂正が働くのに時間は全くかかりません。
しかし、その働きを受け入れる事には、気が遠くなるほど長い時間がかかるかのように見えるかもしれません。
聖霊があなたの関係にもたらした目的の変化は、それそのものの中に、あなたが見る事になる結果の全てを内包しています。
それらは、今、見る事が出来るものです。
既にそこにあるにも関わらず、どうして、時間の中でそれが明らかになるまで待ち、それがもたらされないかもしれないと恐れたりするのでしょう。
神からもたらされることは全てが益となるとあなたは聞かされてきました。
それでも、それは事実ではないように見えます。
災厄という形態の中にある益を、前もって信用する事は困難です。
それに、この考え方は実際のところ意味がありません。
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善なるものが、なぜ悪の形で現われなければならないというのでしょう。
もし、そのように現れるなら、それは欺瞞ではないでしょうか。
そもそも、もしそれが現われるのであれば、それはここにあります。
では、どうしてその結果がはっきりと見えていないでしょうか。
どうして未来にあるというのでしょうか。
そして、あなたはため息をつき、今は理解できないけれど、いつか分るだろうという「理性的思考」で満足しようとします。
そして、その後いつかその意味が明らかになるだろう、と言うのです。
これは理性ではありません。
なぜなら、それは不公正であり、明らかに解放の時が間近になるまで続く処罰というものを暗示しているからです。
善なるもののために目的が変更されているのであれば、災難に襲われる時間枠を、今は苦難の形をしていてもいつか「善」になるものとして知覚すべき理由はありません。
これは今を犠牲にする事です。
このような事は、 聖霊自身が何の代償もなしに与えたものに対して、 聖霊が求める代価ではあり得ません。
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しかし、こうした幻想には原因があります。
それは真実ではないにも関わらず、既にあなたの心の中にあるはずです。
そして、この幻想はその原因が生み出す一つの結果であり、その原因の結果が知覚される一つの形に他なりません。
この時間枠の中で、報復が「善」のとる形態として知覚されていますが、その時間枠はあなた達の間に横たわっている未だ赦されていない小さな空間の一側面に過ぎません。
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未来の幸せで満足してはなりません。
それには何の意味もなく、それはあなたの正当な報酬でもありません。
なぜなら、あなたは、今、自由の原因を持っているからです。
囚人の形をした自由が何の得になるでしょう。
なぜ、解放が死として偽装されなくてはならないでしょう。
遅らせることは無意味であり、今ある原因の結果は未来を待たなければならないとする「理性的思考」は、原因と結果は必ず一つのものとして生じるという事実を、単に否定しているに過ぎません。
何から救い出されるべきかを見るには、時間ではなく、いまもなおあなた達の間にあるその小さな空間に目を向けなくてはなりません。
その空間を時間として偽装させてはなりません。
そして、それにより、その形が変わってそれが何なのかが認識できなくなる事で、それを温存させてはなりません。
聖霊の目的は今やあなたの目的です。
聖霊の幸せも同じくあなたの幸せであるべきではないでしょうか。
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