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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第26章「過渡期」26-2本文
第26章26-2 多くの形態、一つの訂正
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あなたがなぜ 聖霊に全ての問題を解決してくれるよう求めないか、その理由を理解するのは難いことではありません。
聖霊にとっては、ある問題の方が他の問題より解決するのが難しいという事はありません。
どの問題も 聖霊にとっては同じです。
なぜなら、どの問題も全く同じ観点から、同じやり方で解決されるからです。
問題がどのような形で表れているように見えようと、解決が必要な側面は変わりません。
一つの問題は様々な形で現れる事が可能です。
そして、存続している間は、問題は多くの形をとるものです。
それを何らかの特別な形で解決しよう試みる事は、何の目的にも役立ちません。
それは何度でも再発し、繰り返されますが、永遠にきっぱりと答えられたなら、いかなる形であっても二度と再び生じなくなります。
そうなった時に初めて、あなたは問題から解放されます。
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聖霊は、あなた自身が直面していると思い込んでいる全ての問題から解放を差し出します。
それらは 聖霊にとっては全て同じです。
どのような形で表れているかのように見えても、問題とはどれも、自分が得をするために、誰かが損をし、犠牲を払うべきだという要求だからです。
そして、誰も失う人がいないように状況が調整された時には、問題は消え去っています。
なぜなら、それは知覚についての誤りだったのであり、今やそれが既に訂正されているからです。
聖霊にとって、ある間違いの方が他の間違いよりも真理に運び難いという事はあり得ません。
そもそも存在しているのは一つの間違いだけです。
そして、その間違いとは、損失は可能であり、それが誰かの利益をもたらし得るという考えそのものです。
もし、そのような考えが真実だったとすれば、神は不公平だということになり、罪は可能で、攻撃は正当化され、復讐が公平という事になります。
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どのような形をしていようと、この一つの間違いには、一つの訂正があるだけです。
損失という事は存在しません。
それがあると考える事が、すなわち間違いです。
あなたに問題はありません。
にも関わらず、あなたは問題があると思っています。
ところがもし、大きさや複雑さや場所や時間に関わりなく、あるいは、それぞれ互いに異なる属性としてあなたが知覚しているものに関わりなく、それらが次々と消えていくのを目にしたなら、あなたもそう思う事は出来ないでしょう。
見えているものにあなたが押しつけている限界が、どのような形であれ神を限定できるなどと思ってはなりません。
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正義という奇跡は、全ての誤りを訂正する事が出来ます。
どの問題も全て、一つの誤りです。
それは神の子を不当に扱うものであり、それゆえに、それは真実ではありません。
聖霊は不正義の数々について、どれが大きいとか小さいとかどれが多いとか少ないといった評価をしません。
聖霊にとっては、それらはどのような特性もありません。
それらは間違いであり、それによって神の子は不必要に苦しんでいます。
それ故に、 聖霊はその棘や釘を取り除きます。
聖霊は傷の大小を判断するために立ち止まる事はしません。
聖霊はただ、神の子を傷つける事は公平な事ではあり得ないので、そのようにはなってはいないという一つの判断をするだけです。
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いくつかの間違いだけを訂正してもらおうと差し出し、その他のは自分のもとに置いておく方が安全だと信じているあなたは、正義とは全的なものだという事を思い出しなさい。
部分的な正義などというものは存在しません。
もし、神の子が有罪であるのなら、その人は咎められていて、正義の神から慈悲を受けるに値しない事になります。
しかし、あなたがその人を有罪だと見なし、その人が死ねばいいと思っているからといって、神にその人を処罰してほしいと求めてはなりません。
神はあなたに、その人の無垢性を見るための手段を差し出しています。
見るべくそこに存在しているものをあなたが見ようとしないという理由で、その人を処罰するとしたら、それは公平なことでしょうか。
あなたが問題を自分ひとりで解決するために取っておいたり、解決法のない問題だと判断したりする度に、あなたはその問題を大きくし、癒される望みのないものにしたのです。
正義という奇跡が公平であり得る、ということを否定しています。
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もし、神が公正であるなら、正義が解決できないような問題は有り得ません。
しかしあなたは、いくつかの不正義は公平で善きものであり、自分自身を保持するためには必要だと信じています。
大きくて解決できないとあなたが思っているのは、このような問題です。
なぜなら、あなたには損失を被らせたいと思う人たちがいて、完全に犠牲から守られるようにと願う相手は一人もいないからです。
もう一度、あなたの特別な機能についてよく考えなさい。
あなたが他者の中に完全な無罪性を見るために、その人があなたに与えられています。
そして、その人が損失を被る事をあなたが意志する事は出来ないので、あなたはその人にいかなる犠牲も求めません。
あなたが呼び起こす正義という奇跡は、それがその人のもとに留まるのと同じように確実に、あなたのもとにも留まります。
そして、 聖霊もまた、それが全ての人に受け取られるまでは満足しないでしょう。
なぜなら、あなたが 聖霊に与えるものは全ての人のものであり、あなたがそれを与える事によって、 聖霊は確実に全ての人がそれを平等に受け取るように出来るからです。
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それでは、あなたが自分の全ての問題のための訂正を受け取ろうという意欲を持つ時、あなた自身の解放がどれほど大きなものとなるか、考えてみなさい。
あなたはいかなる形の苦痛も望まないので、一つでも問題をとっておこうとはしないでしょう。
そして、 聖霊の優しい知覚の前で、小さな傷が一つひとつ消えていくの見るでしょう。
なぜなら、 聖霊の視覚においては、それらはまさしく取るに足らないものであり、消え去る前にほんの小さなため息を漏らす以上の価値はなく、永久に取り消され忘れ去られるべきものだからです。
かつては、特別な問題や、正しようのない間違いや、治療法のない病のように見えていたものが、普遍的な祝福へと変容します。
犠牲は消え去ります。
そしてその代わりに、神の愛が思い出される事が可能となり、犠牲と損失の記憶の全てを輝く光で消し去るでしょう。
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正義が恐れられるのではなく愛されるようになるまでは、神を思い出すことはあり得ません。
神は人や物に対して不公平でいる事は出来ません。
なぜなら、神は実在する全てがご自身に属しており、永遠にご自身が創造したままにあり続けると知っているからです。
神が愛しているもので、無罪でないものや、攻撃を超越していないものはあり得ません。
あなたの特別な機能は、神の愛についての記憶が完璧に無傷で汚されることなく保たれているところへと通じる扉を、大きく開きます。
あなたに必要なことはただ、「地獄ではなくて天国が与えられるように」と願うことだけです。
錠前や防壁がその扉を固く閉ざし、その前にしっかりと立ちふさがっているかのように見えていますが、それらはことごとく抜け落ち、消え去るでしょう。
なぜなら、父は完璧な愛の中であなたを創造したというのに、そのあなたが父が与えたものより少ないものを差し出したり受け取ったりする事は、父の意志ではないからです。
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