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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編13章 「罪無き世界」より
13章13-11 天国の平安
ACIM-Text- chapter13-11-1
心の平安が自責の念で無情にもかき乱されたと気づいた時、 自我はそれに対処するには、忘れてしまうとか眠ること、死さえもその最善策だとして勧めます。
けれども、誰であれ自分自身が争いの中にあり、酷い戦いで悲惨な目にあっていると思うとすれば、それは対戦中の両者を真実だと信じるからでしょう。
これを信じるならその人は逃げ出さざるをえません。
なぜなら、そのような戦いが心の平安を失わせるのは確実なので、その人を破滅させるからです。
ただし、その戦いは実在する力と実在しない力との間でのことだと認識しさえすれば、自分自身をよく見てみることができ、自由の身だと分かるはずです。
果てしなく繰り返される争いなど全く意義がないと見て取る者は、そのような争いのために自分自身悲惨な目にあい、心はかき乱されていると見なしたりはしないでしょう。
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神は神の子を戦いの最中に置くはずがないので、神の子が想像する「敵」は全く実在しないものです。
あなたは、ただすでに免れた苦々しい戦いから逃れようとしているに過ぎません。
そのような戦いは過ぎ去ったことです。
自由の賛歌が天国へと昇るのをあなたは聞いたからです。
神は、あなたが解放されることをうれしく思い喜びます。
あなたが自分でそれに向かった訳ではありません。
けれども、自ら自由へと向かったのではないように、あなたが自由を危険にさらしかねない戦いを起こしたのでもありません。
破壊的なことなど何一つなかったし、これからもないでしょう。
戦いや罪悪感や過去はみな一緒になって、実在しない世界へと過ぎ去りました。
所詮そうしたことは、そのような世界で生じたことだからです。
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私達すべてが天国で一つに結ばれた暁には、ここで大事にしているものなど、あなたは何一つ大事だとは思わなくなるでしょう。
ここで大事にしているものを何一つ完全に評価してはいないので、少しも重んじてはいないと言えます。
価値というものは、神が定められたとおりのものであり、神が尊重するものは確立されているので、それを批評することはできません。
それには完全な価値があります。
ただその真価を認められるか認められないかというだけのことです。
部分的に評価しようとすると、その真価が分からなくなります。
天国にあるのは、ことごとく神が重んぜられるものであり、それ以外のものは何一つありません。
天国には曖昧さなど全く見られません。
何もかもことごとく明白明瞭であり、一つの反応を呼び起こさせます。
闇は無く、対照をなすものはありません。
変化もありません。
遮るものもありません。
そこでは、実に深い平安を覚え、それがどのような思いなのかごくおぼろげにでさえ想いつかせてくれた夢は、今までこの世界には一つもありません。
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こうした平安を与えられるものは、この世界に何もありません。
なぜなら、ここでは何一つ全面的に分かち合われてはいないからです。
完全に知覚すると、何を全面的に分かち合えるのか見ることができるというに過ぎません。
そうすれば、分かち合わないとどんなことになるかをまだあなたが覚えているうちに、分かち合いの結果というものも見ることができます。
聖霊は、その対照的な違いを静かに指摘し、あなたが最終的には自分のために、その相違については 聖霊の判断まかせ、どちらが真実であるはずだと実証してもらおうとすると分かっています。
それに、あなたの最終的な判断を完全に信頼しているというのも、 聖霊は自らその判断をあなたのためにすることになると分かっているからです。
これを疑うとすれば、 聖霊がその使命を果たせるかどうか疑うことになります。
聖霊の使命は神からのものだというのに、どうしてそれが有り得るでしょう。
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疑念や自責の念を抱き心の暗くなっている者はこれを思い出しなさい。
神は 聖霊をあなたに与えたうえに、全ての疑念を取り除いたり、愛し子が自らに課した自責の念の痕跡をことごとく取り去ったりする使命を、その 聖霊に与えらたということを。
この使命を果たし損なうことは不可能です。
神が為し遂げさせようとすることを、そうさせないようにできるものなど何もありません。
聖霊の声にあなたがどう反応しようと、どの声を選んで耳を傾けようと、どんな奇妙な想いが心に浮かんでこようと、神の意志が成されることは確かです。
神はあなたを平安のうちにいるように定めたので、その平安をあなたは見出すでしょう。
神は意思を変えたりしないからです。
神は不変です。
あなたを包む平安についても同じことが言え、そのことを 聖霊が気づかせてくれるのです。
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天国では、変化したり移行したりするものを思い出すことはないでしょう。
対照する必要があるのはこの世界においてだけです。
対照してその相違点をみるのは、教えの手助けとしては欠かせないことです。
なぜなら、それによって何を避け、何を求めるべきかを学ぶからです。
こうしたことを学んだなら、何かが違っている必要をなくさせる答を見つけたことになります。
真理というものは、真理に属するものに自ずと分かってきます。
自分は真理に属していると分かるようになったなら、あなたはその真理にそっと包まれてしまい、どのような違いも見えないでしょう。
これこそ、いやこれだけが自分の望みだ、とあなたが悟るのを助けるために他のものと対照してみる必要はないからです。
あなたの父から行うようにと与えられたことを、 聖霊が失敗するかもしれないと恐れる必要はありません。
神の意志は何にせよ失敗に終わる筈は無いのです。
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一つのことだけを信じなさい。
それが出来れば十分だといってもいいでしょう。
神はあなたが天国にいることを願っているのであり、あなたをそこから遠ざけたり天国をあなたから遠ざけたりできるものは何もありません。
見当違いもはなはだしい知覚のしかたや奇妙な想像、真っ暗闇にいるような思いをさせる悪夢など、全て何の意味もないのです。
そのようなものは、神があなたのものとして授けてくれる平安に勝りはしません。
あなたが正気を失ったままでいるのは神の意志ではないので、 聖霊が正気を回復させてくれるでしょう。
それで神が満足するなら、あなたにとっても十分です。
あなたは神が取り除いてくれるはずの状態に留まるようなことにはなりません。
そのような状態は、神があなたと意思の疎通をしようとする邪魔になるからです。
神の声は確かに聞こえるようになるのです。
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神ご自身があなたの中においた意思の疎通の絆は、あなたの心と神の心とを結んでおり、それを断つことはできません。
あなたは、それが断たれることを望んでいると信じるかも知れないし、このような信念は確かに、神があなたと打ち解けて絶え間なく意思の疎通をしているのが分かるような、心底からの平安を妨げてしまうでしょう。
けれども、神があなたの心に達するための経路が完全に閉ざされたり、神から離れたりはし無いはずです。
神の平安は、それを意図する存在からあなたへと今も流れているのだから、あなたのものとなるのです。
今すでにその平安はあなたのものです。
聖霊は、いかにして平安を生かせるかをあなたに教え、またその平安を差し伸べることであなたのうちにあると分かってくると教えます。
神は、あなたが天国を継承するよう願ったのであり、常にただそれだけを願っています。
聖霊は神の意志のみを承知しています。
天国があなたのものになら無いはずはありません。
神は確信しており、意図することは自身と同じように確かなことだからです。
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どのようにすれば救えるかを学ぶので、あなたには 救済というものがわかってきます。
聖霊があなたに教えたいと思うことに、あなた自身あてはまらないとするのは不可能です。
救済は神と同じように確かなことです。
神は確実な存在だということで十分です。
眠っている神の子の心をかき乱す暗黒さながらの悪夢でさえ、神の子を支配する力はないと知りなさい。
神の子は目覚めに必要なことを学ぶでしょう。
神に見守られ、光に取り囲まれているからです。
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目覚めて喜ぶようにと、神が心の中で呼びかけさせているというのに、神の子は夢の中で迷ったりすることが有り得るでしょうか。
目覚めて喜ぶようにと、神が心の中で呼びかけさせているというのに、自分の中にあるものから、自分自身を分離することなどできるはずがありません。
目覚めるようにと呼びかけられていながら眠り通せはしないでしょう。
罪を購う使命は確かに為し遂げられます。
それは、創造されたものは果てしなく永遠に変わることはないというのと同様、確実なことです。
天国を自分のものとするには、それが自分のものであると分かっている必要はありません。
それはすでにあなたのものです。
しかし、それを知るには、神の意志を自分の意志として受け入れなければなりません。
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聖霊はあなたが学んだことで、真実でないものが真理と和解しなければならないと教えることを、ことごとくあなたのために取り消してくれます。
これは、言うならば 自我のいう和解で、 自我があなたに正気と平安とを取り戻す代わりにして欲しいことです。
聖霊は、あなたのためにそれとはかなり違った和解を心に抱いており、確実にそうさせてくれます。
その半面、 自我は自らの企てを果たせないことは確かでしょう。
失敗するのは、 自我であり、神ではありません。
あなたが神から逸れることは不可能であり、誰もが皆救われるために、 聖霊が一人ひとりに差し出す計画が、完全には為し遂げられないようなことになる可能性などないのです。
あなたは解放され、自分で作ったものが何であれ、あなたのために創造されたのでもなければ、そのお返しに自分で創造したのでもないとすれば、それを思い出すことはないでしょう。
全く真実ではなかったものを思い出せる筈は無く、常にあるものを思い出せ無いはずがないからです。
真理との和解、まさに真理のみと和解する時、天国の平安を見い出せるのです。
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