奇跡講座テキスト13章13-2 罪なき神の子

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編13章 「罪悪無き世界」より

 

13章13-2 罪なき神の子

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投影する究極的な目的は、いつも罪悪感から免れるためです。

しかし、 自我はこれまた典型的に、そうした罪悪感をただ自らの観点からみて取り除こうとします。

それというのも、 自我が罪悪感を保持したいと思えば思うほど、あなたが自分はそれに耐えきれないと気づくのは確かな上、そのような罪悪感はあなたが神を思いだす邪魔になり、その神に引き付けられるような思いは非常に強く、それにはあなたも抵抗できないからです。

そこで、この点から最も深い分裂が起こってしまいます。

もし、あなたが 自我の主張するように罪悪感を抱き続けるとすれば、あなたは自分自身でいられなくなってしまうからです。

ただ、それがあなただと説き伏せることなので、 自我は何とかあなたに罪悪感を投影するように仕向け、そうすることであなたの心に罪悪感を抱きつづけさせるわけです。

 

ACIM-Text- chapter13-2-2

しかし 自我の取り決めがいかに奇妙な解決法かよく考えてみなさい。

あなたは罪悪感から免れるためにそれを投影しますが、実際には単に隠しているに過ぎません。

罪悪感に苛まれていることは確かですが、どうしてなのか皆目見当もついていません。

それどころか、あなたはそれを寄せ集めの奇妙な「 自我の理想」に結び付けて考えており、 自我はあなたがその理想を見捨てたのだと主張しています。

ですが、あなたは神の子を有罪だと見ているので、その神の子を見捨てているとは夢にも思っていません。

自分をもはや自分ではないと信じるので、あなたは自分自身を見捨てているという実感はないからです。

 

ACIM-Text- chapter13-2-3

あなたが、罪悪感を信じているということを自分で気づかないようにと、あなたの隠れた礎石の一番暗いところにその信念は留まっています。

というのは、その暗い秘密の場所にこそ、自分が神の子に死の宣告をすることなので、本当にその神の子を裏切ってしまったという思いがあるからです。

あなたはそこにこのような殺人的で気違いじみた考えが潜んでいるとは疑ってさえいませんが、 自我の破壊的衝動は実に強烈なので、神の子を十字架刑にしない限り、究極的には治まらないでしょう。

自我は目が見えないので、誰が神の子なのか分かっていません。

しかし、どこかに罪なき姿を知覚すると、それに恐れを抱くので破壊しようとします。

 

ACIM-Text- chapter13-2-4

自我の奇妙な振る舞いは、たいてい 自我が罪をどう定義しているかに直接基づいています。

自我にとっては、罪の無い者たちこそ有罪とします。

攻撃しない者たちは 自我の敵です。

なぜなら、救いについての 自我の解釈を重んじないので、それを今にも手放しそうだからです。

その上、 自我の土台の最も暗く、一番深いところにある礎石に近づいています。

そこで、 自我はあなたがどんな質問をかかげようと逆らい通せるとはいえ、ある一つの秘密だけは生命をかけて守ろうとします。

それは、 自我の存在がこの秘密を保つことに懸かっているからです。

そこで、私達はこの秘密をよく見てみなければなりません。

なぜなら、 自我は真理に逆らってあなたを護れないし、その真理を前にしては、 自我は払いのけられてしまうからです。

 

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真理の穏やかな光の中で、あなたは自ら神の子を十字架刑にしたものと信じているということを認めましょう。

このような「恐ろしい」秘密をあなたが認めていないというのは、いまだにその神の子を見つけさえすれば、十字架刑にしたいと願っているからです。

しかし、そのような願いが神の子をあなたから隠していると言えます。

それは実に恐ろしいので、あなた自身その神の子を見つけるのを恐れているからです。

そして、このような自分自身を殺したいという願いを、あなたは自分が誰なのか知ろうとせずに、何か他のものと一体感を持つことで処理してきました。

罪悪感を盲目的にそして見境なく投影してきましたが、その原因をつきとめてはいません。

それというのも、 自我は確かにあなたを殺したいと思っており、もしあなたがその 自我と一体感を持つなら、 自我の目標は自分の目標だと信じるに違いないからです。

 

ACIM-Text- chapter13-2-6

キリストの十字架刑は、 自我を象徴するものだと述べたことがあります。

自我が神の子の本当に罪のない姿に直面した時、神の子を殺そうと企てたのは確かであり、罪なき姿など神に対する冒涜だということをその理由として挙げました。

自我にとっては、 自我こそが神であり、罪なき姿とは殺すことさえ十分に正当化する決定的な罪だと解釈されるべきこととします。

あなたは、自分がこの奇跡のコースの教えに関して体験するかもしれない恐れは、究極的にこのような解釈から生ずるとはまだ理解していませんが、もしそれに対する自分の反応をよく考えてみれば、確かにその通りだと徐々に納得がいくようになります。

 

ACIM-Text- chapter13-2-7

この奇跡のコースの教えは、あなたの幸せと平安を目標にする、とはっきり述べています。

けれども、あなたはその教えに恐れを抱いています。

その教えが、あなたを自由にしてくれると何度となく言い聞かされてきたにも関わらず、まるで「それがあなたを閉じ込めようとでもしている」かのように反応することがあります。

自我の思考体系を退けるより、もっと容易くその教えをたびたび退けています。

では、あなたはこの奇跡のコースの教えを学ばないでいることで自分自身を護っていると、ある程度信じているに違いありません。

とすると、自分には罪がないということだけが自分を護ってくれるのだとは悟っていません。

 

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贖罪とは罪悪感から解放されることであると今まで解釈されてしました。

これはよく理解されさえすれば正しい解釈になります。

けれども、私がそれをあなたのために解釈したとしても、あなたはそれを拒絶し、自分自身のために受け入れないかもしれません。

おそらくあなたは、 自我とそれが差し出してくれるものなど無駄なものだと気づいたでしょうし、そのようなものを望んではいないのですが、それにとって代わるものを喜んで見てみる気はまだないかもしれません。

極端な場合には、罪のあがないに恐れを抱き、それは自分の死を意味するものと信じています。

こうした強い恐怖心を軽々しくみないことです。

なぜなら、それを信じるが故に、真理の面前で自分自身に突然攻撃の目を向け、自らを破壊するかもしれないからです。

 

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幼き者よ、あなたの信じていることなど、その通りだとは言えません。

あなたの「気を咎める秘密」は取るに足らないことであり、それをただ光へともたらしさえすれば、御光によって払いのけられます。

その後には、あなたの父の記憶をさまたげる暗雲など残りはしません。

あなたは罪なき神の子を思い出し、その神の子は不滅であり死んではいないからです。

また、自分はその神の子と共に贖われており、決して別々になってはいないと分かってきます。

こうしたことを理解するうちに、自分の記憶にあることを思い出せます。

それこそ、愛を恐れずに再認するということだからです。

天国では、あなたが戻ってくるというので大きな喜びで満たされるし、その喜びはあなたのものにもなるでしょう。

罪を購われた人の子はすなわち罪なき神の子なので、その神の子を認めることこそあなた自身購われるということです。

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編13章 「罪悪無き世界」目次

13-0  序論

13-1  無罪性と傷かざる強さ

13-2  罪なき神の子

13-3  救いに対する恐れ

13-4  時間の機能

13-5  二つの感情

13-6  今を見出す

13-7   実相世界の達成

13-8  知覚から叡知へ

13-9  罪悪感の雲

13-10  罪悪からの解放

13-11  天国の平安

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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目次

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