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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編13章 「罪悪無き世界」より
13章13-9 罪悪感の雲
ACIM-Text- chapter13-9-1
結局は、罪悪感が父を隠す唯一の原因と言えます。
なぜなら、罪悪感を抱くとは、神の子を攻撃することだからです。
自責の念をもつ者は、非難するのが常であり、そうしたからには 自我の法則に従い、未来を過去に関連づけ、さらに非難するようになるでしょう。
このような法則に忠実であると、光を入らせないようにしてしまいます。
それは、暗闇の世界に忠実であることを要求し、目覚めることを禁ずるからです。
自我の法則は厳しいうえに、違反すると容赦なく罰せられます。
だから、 自我の法則などには服従しないことです。
それは罰するための法則だからです。
そのような法則に従う者たちは、自分に罪があると信じるので、非難せずにはいられなくなります。
あなたが自分自身を解放する気があるなら、神の法則が未来と過去の間をきっと取りなしてくれます。
贖罪はその間にあり、それは本当に赤々と輝く灯火のように明るいので、あなたが自分を鎖につけられているように閉じ込めている闇を消滅させます。
ACIM-Text- chapter13-9-2
罪悪感から解放されるとは、 自我を完全に取り消すということです。
誰にも恐れを抱かせたりしないことです。
その人が罪悪感を抱けば自分も抱くことになるのであり、 自我の過酷な戒律に服従すると自分自身に 自我の罪の宣告をすることになり、 自我に服従する者に申し付けられる刑罰を逃れられなくなるでしょう。
自我は忠誠を尽くすものに苦痛で報います。
そのような 自我を信頼するのは、確かに苦しいことだからです。
確かに信頼するということは、その信頼した信念特有の表現で報いられるに過ぎません。
信頼は信じる力を生じるので、いわばどこにその信頼を投じるかでその報酬が決まります。
それというのも、いつでも大事だと思うものを信頼するのであり、そう思うものが戻ってくるからです。
ACIM-Text- chapter13-9-3
この世界は、あなたが与えたものだけを与えられます。
それは自分で投影したに過ぎない世界だからであって、そこにあなたが見つけて信頼することにしたというものを除けば、そのような世界には何の意味もありません。
闇を信頼すれば、見ないでいられます。
なぜなら、自分で信頼することにした通りに報いられるようになるからです。
あなたは、自分にとって大事なものを受け入れるようになるのは確かであり、もし過ぎ去ったことを信頼するのなら、未来は同じようなことになるでしょう。
何であれ、自分で大切にしているものをあなたは自分のものだと思っています。
自ら評価する力というものがそうさせてしまうわけです。
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贖罪は、あなたが大事にしているものをことごとく評価し直させます。
それというのも、贖罪は 聖霊がそれによって間違ったものと真実であるものとを分けることのできる手段だからであり、今まであなたはその二つを区別せずに自分の心に受け入れていたのです。
したがって、あなたは一方を評価せずにもう一方の評価をすることはできず、罪悪感はあなたにとって罪の無さと同じく本当になってしまいました。
神の子に罪はないとは信じてなどいないというのも、過去のことを見て本人を見ていないからです。
あなたが兄弟に罪の宣告をするなら、「私は有罪であり、そのままでいることを選ぶ」と自分で自分自身に言っていることになります。
その兄弟の自由を否定してしまい、そうすることであなたは、あなた自身も自由であるということを証言してくれる人を否定してしまいました。
あなたには、それと同様に、難なくその兄弟を過去から自由にさせることができ、その過去に縛り付けている罪悪感の暗雲を兄弟の心から取り除くこともできたはずです。
そして、その兄弟が自由になれば自分も自由になれたでしょう。
ACIM-Text- chapter13-9-5
兄弟に罪を負わせないでおきなさい。
本人はこれをあなたにしてしまったと、ひそかに罪悪感を感じているからです。
それに、あなたには、当人に自分で描いている妄想は正しいと教えたりするつもりなどないでしょう。
罪なき神の子が、自分自身を攻撃したり有罪にしたりできると思うなら、正気ではありません。
どんな形にせよ、また誰のことだろうと、これを信じてはなりません。
罪を犯すのも罪を宣告するのも同じことなので、一方を信じるとはもう一方をも信じるということであり、愛のかわりに刑罰を求めていることになります。
気違いじみた行為を正当化できるものは何一つ無く、自分自身を罰して欲しいと要求するのは正気とは言え無いはずです。
ACIM-Text- chapter13-9-6
では、誰一人有罪だとはみなさないことです。
そうすれば、あなたは自分自身も罪の無い状態にあるという真実を肯定することになります。
あなたが神の子に罪の宣告を言い渡す度に、自分も有罪だと確信していると言っているようなものです。
もし、 聖霊に自分をそのような罪悪感から解放してもらいたいのなら、 聖霊が差し伸べる贖罪を兄弟全ての人のために受け入れなさい。
そうすれば、それがあなたにとっても真実だとわかってきます。
神の子の一部の者にだけ罪の宣告をするのは不可能だということを、常に覚えておくことです。
あなたが有罪と見なす者たちは、あなた自身罪悪感を抱いているということの証人になるのであり、それは取り消されるまであるのは確かなので、自分にそれがわかってきます。
罪悪感は、いつもあなたの心の中にあり、その心が自ら罪の宣告をしたのです。
そうした罪悪感を投影しないことです。
そうする間は、それを取り消すことなどできないからです。
あなたが、全ての人を罪悪感から解放すると、天国には大きな喜びがあり、そこではあなたに父権があることを証明する証人たちが喜んでくれるでしょう。
ACIM-Text- chapter13-9-7
罪悪感は、あなたを盲目にしてしまいます。
自分に少しでも罪があると思っているうちは、光を見ることはないからです。
そのうえ、そのような罪悪感を投影することで、この世界は闇のようであり、自分の罪悪感に覆われているように思えます。
あなたは、そのような罪悪感を覆い隠しており、自分の内面を見つめることができないのでそれが見えないのです。
そこで目にするかもしれないと思っている何かに恐れを抱いていますが、そこには何もありません。
あなたが恐れているものはなくなっています。
内面をよく見つめてみれば、そこに見えるのは贖罪だけであり、それは父に捧げる祭壇のうえで静けさと平安のうちに輝いているでしょう。
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内面を見つめるのを恐れたりしないことです。
自我は、あなたの心の中は罪悪感で真っ暗だと言うし、見ないようにと命じます。
そのかわり、あなたの兄弟たちをよく見て、その兄弟たちの内にある罪悪感を見るようにと命じたりします。
けれども、それは盲目のままでいなければ従えないことです。
というのも、兄弟たちを闇の中にいるとし、その闇に覆われ、有罪だと見る者たちは内なる光を見ようにもあまりにも怖くて、それができないからです。
あなたの内面にあるのは、自分でそこにあるものと信じこみ、信頼しているものではありません。
そこにあるのは、父があなたを完全に信頼しているという聖なるしるしそのものです。
父はあなたのことを、あなたが自分で自分を評価するようには評価しません。
自身のことを知っており、あなたの内なる真理も知っています。
そこには何の相違もないと分かっています。違いというものなど知らないからです。
神が完全に潔白だと分かっているところに、あなたは罪悪感があるといえるでしょうか。
あなたには神の叡知を否定できますが、変えることはできません。
では、神があなたの内に置かれた光を見つめ、自分でそこにあると恐れていたものは愛に取り替えられていると分るようになることです。
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