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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編13章 「罪無き世界」より
13章13-3 救いに対する恐れ
ACIM-Text- chapter13-3-1
あなたは、自分の抱く憎しみをよく見て、それが何を意味するか十分に悟ることが、なぜそれほど重大なのかと不思議に思うかも知れません。
それに、 聖霊にとっては、そうした憎しみをあなた自身自覚するということを必要とせずに、ただあなたに見せたうえでそれを拭い去ることなどたやすいだろうに、とも思うかも知れません。
しかし、あなたは自分自身と贖罪の間にもう一つ障害を置いています。
前に述べたことですが、誰であれ、もし恐れに気づくならそれを黙認する者は一人もいません。
けれども、心が乱れているときには、恐れを恐れとも思わないのです。
気にならないわけではありませんが、自分を本当に怖がらせるものを攻撃することを望んではいません。
自分に敵意があるとはいえ、心はひどく動揺してもいません。
そうした敵意を隠し続けるというのも、それが覆い隠しているものにもっと恐れを抱いているからです。
もし、あなたが、 自我が無くては自分自身の中に、自分にとってなおいっそう恐ろしいものを何か見つけることになってしまうと信じたりしなければ、 自我の最も謎めいた礎石さえ恐れずに見つめることができます。
実のところあなたは、十字架刑にされるのを怖がっている訳ではありません。
あなたが本当に恐怖を抱いているのは、罪を購われることです。
ACIM-Text- chapter13-3-2
自我の謎めいた土台の下にあるのは何かといえば、それは神の思い出であり、これこそあなたが本当に恐れているものです。
というのは、こうした思い出があなたを直ちに自分に相応しい場へと戻しそうであり、そここそ自ら求めて離れようとした所だからです。
あなたが抱いている攻撃に対する恐れは、愛に対する恐れと比べれば問題になりません。
神の子を殺したいという野蛮な願いをよく見てみようとすると、自分を愛から救うことになると信じたりしなかったなら、進んでそれを見る気にもなるでしょう。
このような願いが分離を引き起こしたのであり、分離を癒したいとは思わないのでそれを護っています。
そのような願いを覆い隠す暗雲を取りされば、父に対するあなたの愛が自分に父の呼びかけに答えさせ、天国へと思いを馳せずにはいられなくさせると、よく分かっています。
あなたがそうするのを攻撃することが妨げることになるので、攻撃することこそ救いであるとあなたは信じています。
自我の土台よりさらに深く、それが強くなる可能性よりもっと強いのが、強烈で燃えるようなあなたの神に対する愛であり、あなたへの神の愛だからです。
これこそあなたが本当に隠したがっていることです。
ACIM-Text- chapter13-3-3
正直なところ、あなたには「憎い」と言うより「愛している」と言う方が難しいのではないでしょうか。
愛を弱さと結びつけたり、憎しみを強さと結びつけて考えたりして、あなたにとっては自分のもつ本当の力も実質的には弱みのように思えたりもします。
もし、あなたが愛の呼びかけを耳にしたなら、喜んでそれに応ずるのを抑えられないし、自分で作ったと思っている世界は全部たちまち消滅してしまうからです。
そこで、 聖霊が自分の要塞を攻撃しているように思えてくますが、それはあなたが神を締め出そうとしても、神はそうされることなど願っていないからです。
ACIM-Text- chapter13-3-4
あなたは、気違いじみた信念を全部体系化したのですが、それは神の前で自分はどうすることもできないだろうと思うからであり、自分自身を神の愛から救おうとするのは、自分がそれに押しつぶされて無価値なものにされてしまうと思うからです。
その愛が、あなたをあなた自身とはいえなくし、取るに足らないものにするのではないかと怖がっているというのも、あなたが大胆に抵抗することに自分の重要性が見いだされ、攻撃するのは威厳があることだと信じるからです。
あなたは、神が破壊しそうな世界を自分で作ってしまったと思っていますが、あなたはすでに神を愛しているといえるし、愛するからこそ、このような世界を投げ売ってもいいと思うでしょうし、きっとそうするでしょう。
したがって、あなたはそのような世界を使って自分の愛を覆っているのであり、暗黒状態にある 自我の土台へと深く入りこめば入りこむほど、そこに隠された愛に近付いていることになります。
そしてこれこそがあなたの恐怖なのです。
ACIM-Text- chapter13-3-5
あなたが正気でない状態を受け入れることができるのは、それを自らでっちあげたからですが、自分で愛を作ったのではないから、それを受け入れることができないのです。
贖われた神の子であるより、むしろ十字架刑にされる身の奴隷でいたいのでしょう。
一つとなって生きることより、自分個人として迎える死のほうがもっと貴重に思えるというのも、与えられたことは自分で作ったことほど大事ではないからなのです。
あなたは 自我よりも神に対してもっと恐れを抱いており、愛は歓迎されないところに入ることはできません。
ところが憎しみはそこに入り込んでしまいます。
というのも憎しみはいわば勝手に入り込み、あなたの意志など気にもかけないからです。
ACIM-Text- chapter13-3-6
自分の幻想を自分でしっかり見なければならないし、それを隠しておかないことです。
なぜなら、そうした幻想はそれ自体の土台に基づいてはいないからです。
それが隠されていると、それに基づいているように見えるので自立しているように思えます。
これが基本的な幻想であり、そのうえにほかのが基づいています。
そうした幻想が隠されている間中、その下にはそのような幻想を怒りのうちに作ってしまったものと思い込んでいます。
愛に満る心が隠れているからです。
そして、この心の痛みは隠しきれないほどのものであり、それが明らかになると、その心は癒される必要があることを否定できません。
あなたが思い付く誤魔化しや企みは、どれもみなその心を癒せはしないでしょう。
これこそ神の子にとっては本当に十字架刑になっているようなもからです。
ACIM-Text- chapter13-3-7
ところが、神の子は、十字架刑にされてなどいません。
ここにこそ、神の子の苦痛と癒しが共にあると言えます。
聖霊の心眼は、慈悲深いうえ、 聖霊の療法には時間はかからないからです。
苦しみを 聖霊に見えないように隠したりせず、喜んで打ち明けなさい。
永遠に正常な心の状態にある 聖霊の前に、あなたの心の傷をみなさらけ出し、自分を癒してもらうことです。
どんな小さな痛みも、 聖霊の光から隠しておかないようにし、あなたにとって発見するのは怖いと思えるようなことも見つけるために、自分の心を注意深く捜しなさい。
聖霊は、あなたが自分を傷つけるために保っているささいな思いをことごとく癒し、その卑小さを洗い清めた上で、神にとって重要な思いに戻してくれるからです。
ACIM-Text- chapter13-3-8
あなたは、必死に虚勢を張ろうとするその裏で、本当は助けを求めて呼びかけているのです。
父があなたを御自身のもとへと呼んでいるがごとくに、あなたは父に愛をもとめて呼びかけているからです。
あなたは自分で隠れているその場所で、愛をこめて父を思い出すうちに、父と一つに結ばれることになるに過ぎません。
こうした真理の場を、あなたの兄弟たちのなかに見るようにすれば見出せるでしょう。
その兄弟は自分を欺いているかもしれないとはいえ、あなたと同じように、自分の内なる崇高さを切望しているからです。
そして、あなたはその崇高さを知覚するとそれを喜んで迎えるでしょうし、そうすることでそれはあなたのものにもなります。
崇高さは神の子の権利であって、どんな幻想にせよそれで神の子を満足させることはできません。
なぜなら、神の子のあるがままの姿をそれ以下のものにすることなどできないからです。
神の子の愛だけが真実であり、神の子は自分の真実の姿にのみ満足するでしょう。
ACIM-Text- chapter13-3-9
神の子を自らの幻想から救いなさい。
そうすれば、あなたは父がいかに大きな存在であるかを平安と喜びのうちに受け入れるかもしれません。
しかし、自分の愛の対象として誰一人除外することのないようにしなさい。
そうでないと、あなたは心の中に、 聖霊を喜んで迎え入れようとしない暗い場所を隠していることになります。
こうして、あなたは自分自身を 聖霊の癒す力の対象から除外するようになります。
なぜなら、全ての愛を捧げないでおくと、自分が完全には癒されなくなってしまうからです。
恐れがそうであるように、癒しは完全なものでなければなりません。
愛は、ほんの少し恐れているために、喜んで迎えてもらえないようなところに入ることはできないからです。
ACIM-Text- chapter13-3-10
正気でいるよりむしろ分離することを選ぶ者は、自分の正しい心が正気の状態にあるはずがありません。
あなたが特別な願いごとをするまで、あなたの心は平安でした。
そして、神はその願いを聞き入れてくれませんでしたが、それはその願いが神自身に相容れないことだったからであり、神の子を本当に愛している父にあなたがこれを頼めるはずもなかったのです。
したがって、あなたは自分で父を愛のない父親だとしておいて、そのような親だけが与えそうなものを父から要求しています。
そして、神の子の平安は打ち砕かれてしまいました。
それは、自分が父をもはや理解していなかったからです。
自分で作ったものを恐れていたが、それより自分の本当の父をもっと恐れたというのは、その父と自分は素晴らしいことに対等であるという事実を攻撃したからです。
ACIM-Text- chapter13-3-11
平安なときには神の子は何も必要としなかったし、何一つ頼みませんでした。
争っていたときには、あらゆるものを要求しても、何も見出せなかったのです。
愛の優しさが、そうした神の子の要求に応じられるはずがなく、それがあるとするなら平安のうちに出発し父のもとへ戻ってからとしか考えられないのではないでしょうか。
神の子が平安のうちに留まることを願わなかったのなら、決してそこに留まることはできないでしょう。
暗闇のようになった心は、光のうちに生きることはできないし、そのような心は、そこにはいないのにいると信じることができるような、闇に包まれた場を捜さなければならなくなります。
神はこうしたことが起こるのをゆるしませんでした。
けれども、あなたはそれが起こるように要求したのであり、したがってそうなったものと信じたのです。
ACIM-Text- chapter13-3-12
「選り抜く」とは「一人にする」とのこと、したがって孤立するということです。
神があなたを、このような目に遭わせたのではありません。
神は自らの統一された姿の中にこそ、あなたの平安があると分かっていながら、あなたを引き離したりするでしょうか。
苦痛を味わいたいとのあなたの願いだけは否定したというのも、苦しみは神が創造したものではないからです。
創造したものはあなたに与えられたので、それを取り上げたりするはずがありません。
あなたの気違いじみた願いには、正気の答えでもって答えるだけであり、その答えはあなたが正気でないときにも自分の中に残っているはずです。
神がこうしたのは確かです。
神の答えを耳にしたなら、狂気の沙汰を諦めようとしないものなど誰もいません。
神の答は、幻想を越えた評価基準があるところなので、それにしたがって幻想を振りかえって見れば、それが正気ではないと分かります。
こうした場所は、あなたが捜しさえすれば見つけられます。
愛はあなたの中にあり、それがあなたをそこへ導いてくれるからです。
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