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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編13章 「罪悪無き世界」より
13章13-1 無罪性と傷つかざる強さ
ACIM-Text- chapter13-1-1
以前私が述べたように、 聖霊はすぐれた教師誰もが抱く目標を分かち合っており、そうした教師たちは究極的に自分の知っていることを全て生徒に教えて、自分を必要とされなくなろうとします。
聖霊はただそうなることを望んでおり、父の神の子に対する愛を分かち合うので、神の子の心から罪悪感を全て取り去って、神の子が自分の父を平安のうちに思い出せるようにしようと努めます。
平安と罪悪感とは正反対であり、心に安らぎがあるときにのみ父を思い出せます。
愛と罪悪感を同時に抱くことはできない為、一方を受け入れるともう一方を否定することになります。
罪悪感であなたの目には キリストが見えなくなりますが、それはそのような思いが神の子は非難されるところなどない状態にあることを否認するからです。
ACIM-Text- chapter13-1-2
あなたが作り出した奇妙な世界の中では、確かに神の子は罪を犯しています。
では、あなたにその神の子が見えるはずがありません。
神の子を目に見えなくしたので、その報いとして世界が黒い雲のような罪悪感から現れたのですが、そのような罪悪感をあなたは自分のものとして受け入れ胸に秘めています。
キリストの罪の無さが、 自我は存在しえず、決して有り得ないと証明してくれます。
罪悪感なくしては 自我に生命はないのであり、神の子に罪悪感がないということは確実です。
ACIM-Text- chapter13-1-3
あなたが自分自身をよく見て自分のしていることを正直に判断すれば、罪の無い身だとどうして言えるだろうか、といぶかりたくもなるかもしれません。
ただし、このことをよく考えてみなさい。
時間の中ではあなたに罪がないとは言い難くとも、永遠においては、罪はないと言えます。
過去に「罪を犯した」とのことですが、過去というものはありません。
常にある状態に方向はありません。
時間は一つの方向に向かうように思えますが、あなたがその終点に達したなら、それはまるで後にした過去にそって広がった長い絨毯が巻上がるように丸くなり、消え失せるでしょう。
神の子に罪があると信じる限り、あなたはこの絨毯は死に至るものと信じつつ、それに沿って歩むことでしょう。
そのうち「このような旅路は長くて残酷なうえ馬鹿げている」ように思えてきます。
それは、まさしくその通りだからです。
ACIM-Text- chapter13-1-4
神の子が自ら出発した旅路は実に無益なものですが、父が神の子に出発させられる旅路は解放される喜びを味わえる旅となります。
父は残酷な存在ではなく、神の子は自分自身を傷つけることなどできません。
報復されるものと恐れたり、報復されているものと見なしたりすることでも決して神の子に害を及ぼしません。
たとえ、神の子がそれを信じるとしても、 聖霊は真実ではないと分かっているからです。
聖霊は、時間の終わりに立っていますが、 聖霊はあなたと共にあるのであなたもそこにいるに違いありません。
聖霊は、神の子に相応しくないものをすでにことごとく取り消しています。
そうすることが、神から与えられた使命だったからです。
そのうえ、神が与えられるものは常にあったのです。
ACIM-Text- chapter13-1-5
あなたは、「神の子に罪はない」と分かるにつれて、私を見るようになります。
神の子は、いつも自分の罪なき姿を捜し求めてきたし、それを見出したからです。
誰もが皆、自分で作ってしまった牢獄から逃げだそうとしているのであり、そこから解放される道を与えられていない訳ではありません。
それは自分の中にあるので見出せたのです。
いつ見出すか、それはただ時間の問題であり、その時間も幻想に過ぎません。
神の子には『今罪がない』ので、自らのもつ純粋さは永久に神の御心の中で、もとのままの鮮やかさで輝いています。
神の子はいつまでも、創造されたままの姿でいるでしょう。
あなたは自分の世界こそ否定し、神の子に裁きを下さないでおくことです。
その神の子の永遠に罪なき姿は父の御心の中にあり、それが神の子を永久に護るからです。
ACIM-Text- chapter13-1-6
あなたは自分自身のために贖罪を受け入れた暁に、神の子に罪はないと悟るでしょう。
そして、ただ神の子は罪が無いと見なすなら、神の子は一つであるということも理解できます。
罪の想念を持つゆえに、ある人が他の人に罪の宣告をすることを信じるようになり、統一するかわりに分離を投影することになるからです。
あなたは、ただ自分自身に罪の宣告ができるだけであり、それをするので自分が神の子だとは分からなくなってしまいます。
神の子の真の姿、すなわち全く罪のない姿というものを否認したということです。
神の子は愛によって創造されたのであり、愛のうちに留まっています。
それにいつも善良さと慈悲に伴われています。
父の愛をいつも拡張してきたのです。
ACIM-Text- chapter13-1-7
あなたは、共に旅する聖なる仲間たちのことを分かってくるにつれて、旅路というものはなく、あるのは「ただ目覚めることだけだ」と悟るでしょう。
眠りにつくことのない神の子が、あなたのために父と共に信じつづけてきました。
旅する道はなく、旅して通りぬける時間もありません。
神はただの一時も神の子がいないままにしておくつもりなどないので、その神の子を時間のうちで待ったりしないからです。
だから今までずっとそうなっています。
あなたの心を暗くする自責の念をもたらす雲など、神の子の神聖さをもって照らし消滅させなさい。
そして、その神の子の純粋さを自分のものとして受け入れるので、それは確かに自分のものだということを神の子から学びなさい。
ACIM-Text- chapter13-1-8
あなたに罪はないので傷つけられることはありません。
「過去に固執している」とすれば、それは「ただ罪悪感を抱いている」からです。
そのような罪悪感があると、自分のしたことに対して罰を受けるものと決め込んでしまい、かくして一次元的時間に依存し過去から未来へと進むことになります。
これを信じていては、「常に」とは何を意味するのか誰も理解できません。
したがって、罪悪感があなたに永久不滅のものの真価を認められなくしてしまうに違いありません。
あなたは永遠なるものなのだから不滅であり、「常に」とはきっと『今』のことです。
では、罪悪感はあなたの心の中に過去と未来をとどめておき、 自我の継続性を確保する方法と言えます。
過ぎ去ったことが罰せられるようになるとすれば、 自我の継続を保証されるわけだからです。
けれどもあなたの永続性を保証するのは神であり、 自我ではありません。
それに不滅性は時間とは反対です。
なぜなら時間は過ぎ去りますが、不滅性は変ることなく続くからです。
ACIM-Text- chapter13-1-9
贖罪を受け入れると、不滅であるとはどういうことなのかを学べます。
それは自分に罪がないということを受け入れれば、過去は全然なかったと分かるので未来は不必要となり、なくなってしまうからです。
時間においては、未来は罪滅ぼしするためのものと考えるのが常であり、ただ罪悪感が罪滅ぼしをしなければいけないという思いを引き起こすことがあるだけです。
したがって、あなたが神の子の罪なき姿を自分のものとして受け入れるようになるのは、神が、あなたに神の子とその神の子が本当に何であるか、それを気づかせようとする方法です。
なぜなら、神は決して神の子に罪の宣告をしてなどおらず、罪がないのなら、神の子は永遠なるものだということになるからです。
ACIM-Text- chapter13-1-10
罪を犯したのは真実だとしておいて、後でその償いをし、罪悪感を拭い去ろうとしても、それはできません。
これこそ 自我の企みであって、拭い去るどころかそれを抱かせようとします。
自我は攻撃することで罪を償えるものと信じていますが、それは攻撃によって救われると、全く本気で気違いじみたことを考えているからです。
罪悪感を抱いているあなたもきっとそれを信じるのでしょう。
なぜなら、 自我と一体感を持たずに、自分の欲しくないものを大事にする筈は無いからです。
ACIM-Text- chapter13-1-11
自我は、あなたは有罪なので自分自身を攻撃するように、とあなたに教えるのであり、その言いなりになると罪悪感は増すに違いありませんが、それは攻撃するとそれを感じてしまうからです。
ということは、 自我の教えによると罪悪感から逃れる道はありません。
攻撃すると罪悪感を本当に抱くことになり、もしそれが本当の思いなら、それを乗り越える方法などないのは確かだからです。
聖霊は、単にそれがあったためしはないと冷静に認識し、罪悪感をぬぐい去ってくれます。
聖霊は罪のない神の子を見ているので、これが真実だと分かります。
こうしたことは、あなたにとっても真実であり、罪悪感なくして攻撃するのは不可能なのだから、あなたが自分を攻撃するはずがありません。
それならば、神の子に罪はないので、あなたは救われていることになります。
全く罪は無いからです。傷つけられることもないのです。
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