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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編13章 「罪無き世界」より
13章13-4 時間の機能
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さてここで、なぜあなたはこの奇跡のコースの教えに恐れをいだいているのか、その理由が明らかになってきます。
それは、これが愛の教えそのものだということ、この教えはあなたのことについて言っているわけだからです。
この世界におけるあなたの機能は癒しであり、天国における機能は創造だと言われてきました。
自我の教えによれば、地上でのあなたの機能は破壊することであり、天国では何の機能もありません。
こうして、 自我はあなたをここで破滅させ埋葬しようとする上、あなたというものは土から作られたと思っているので、あなたの受け継ぐものとして土だけ残してくれます。
その 自我は自らの論法にしたがって、あなたにほどよく満足している限りは、あなたに全てを忘れさせてくれます。
それが公然と残忍になったときには、あなたに地獄にいる思いをさせるのです。
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ところがそうした忘却も地獄も、あなたにとっては天国ほど受け入れ難いものではありません。
あなたの定義によると、天国は確かに地獄と忘却であり、まさにその天国こそ自分で体験しかねない最大の脅威だと思っています。
それというのも、地獄と忘却は自ら作り上げた観念であり、そのようなものの実在性を実証しようと一生懸命になるというのも自分の実在性を確立するためだからです。
そのようなものの実在性を疑われたら、自分の実在性も疑われると信じているのです。
なぜなら、あなたは攻撃することが自分の本当の姿であり、自らを破滅させることで自分の正しさを最終的に証明できると信じるからです。
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このような事情だから、事実あなたが間違っていたということは別にしても、間違っていたほうがどちらかといえばよかったのではないでしょうか。
死ぬということが、生きていたのは確かだと示してくれると主張できるかもしれませんが、確かに生きているということをそれが証明すると公言するものは一人もいません。
過ぎ去った生命というものを死が示すかもしれないとはいえ、こうした結果にならざるを得ないうえに、それがあったとこのようなにしてまで証明する必要があるとすれば、それは無駄な生命であったに過ぎないでしょう。
あなたは天国のことを疑問に思うにも関わらず、こうしたことを疑問に思ってはいません。
けれども、もしあなたがそれを疑問に思いさえすれば癒すこともできるし、癒されることもできます。
それに、たとえ天国を知らないとはいえ、それのほうが死よりもっと望ましいのではないでしょうか。
あなたは選んで知覚してきたように、選びながら疑問を抱いてきました。
開かれた心は、これをするよりもっと正直です。
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自我は時間について奇妙な観念を持っているので、あなたはこうした観念についてまず質問し始めるといいでしょう。
自我は過去のことに重きをおき、それに注ぎ込む労力や心労を厭わないうえ、最終的には過去だけが有意義な時間の側面だと信じています。
罪悪感を重視するということは、未来を過去と同じようにすることで 自我を確実に継続させられるようになり、かくして現在を避けているのだということを思いだして欲しいのです。
過去の償いとして、将来罰をうけるという観念によれば、過去のことが将来の決め手となり、その間の現在という時がなくて、過去と未来を継続させることになります。
というのも、 自我は現在をいわば単なる未来への短い過渡期に過ぎないと見なしており、その変わり目で、今という時は過ぎ去さるものと解釈し、過去を未来へと続けるからです。
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「今」は 自我にとって何の意味もありません
今という時は、ただ昔味わった痛みなどを思い出させるだけであり、それに対して、 自我はまるでその時が過去そのものであるがごとくに反応します。
自我は過去から解放されることに耐えられないので、過去は文字どおり過ぎ去ったとはいえ、それがあたかも現在のことであるがごとくに対応し、心に浮かぶ過去の思いを保とうとします。
それに、あなたが現在、出会う人たちに対しては過去のことを判断の基準にして、どう反応するかを指図するので、その人たちの今ある真実の姿を不明瞭にしてしまいます。
その結果、あなたが 自我の指図にしたがうとすれば、自分の兄弟に対して、まるで誰か他の人であるかのように反応するでしょうし、これをすればその兄弟をあるがままに認められなくなってしまうのは確かでしょう。
そして、あなたは自分の過去をもとにその兄弟からメッセージを受け取ることになります。
なぜなら、そうした過去は、現在でも真実だとして自分自身それを手放すのを禁じているからです。
かくして、あなたは今兄弟一人ひとりが、あなたは解放されていると伝えてくれる、そのメッセージを退けています。
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過去からの影のような姿、それこそ正にあなたが逃れなければならないものです。
そのような姿は真実ではなく、あなたが自分で連れていかない限り、それにはあなたを支配する力などありません。
そのようなものが、あなたの心の中に何らかの痛みを留めておき、すでに終わった過去に対して仕返しするために、今あなたに指図し攻撃させようとします。
そして、このような決断をすると後になって苦痛を味わうことになってしまいます。
過去の痛みは幻想だということを学ばない限り、あなたは幻想である未来を選んでいるので、解放される機会は現在いくらでも見いだせるのにそれを失っているのです。
自我はあなたの悪夢を残しておいて、あなたが目覚めるのを妨げたり、そのような悪夢は過ぎたことだと分からないようにさせたりするでしょう。
もし、あなたが、聖なる出合いは単に自分自身の過去との遭遇に過ぎないと見て取るなら、そうした出合いに気づくでしょうか。
あなたは誰とも遭遇する訳ではありません。
そのうえ、救いを分かち合うということが出会いを聖なるものにするとはいえ、そうした分かち合いはあなたの目の前から除かれてしまうからです。
あなたはいつも自分自身と遭遇するのであり、あなたは神聖であるが故、そうした出会いは神聖だと 聖霊は教えています。
自我は、あなたは常に自分の過去と出会うのだと教え、それにあなたの夢は神聖ではなかったので、未来が神聖であるはずがなく、現在に意義はないなどと教えるのです。
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聖霊が時間をどう知覚するのか見てみれば、それは 自我のしかたと全く逆だということは明白です。
その理由も同じようにはっきりしています。
というのも、 聖霊と 自我は時間の目標を真っ向から対立するものと知覚するからです。
聖霊は、時間の目的とは時間そのものの必要性をなくす援助をすることだと解釈しています。
時間の機能は一時的なもので、ただ 聖霊が教える機能を果たすのに役立つに過ぎないと見なし、その機能も文字どおり一時的なものです。
したがって、 聖霊は無限に拡張し得る時間の一側面だけ強調します。
「今」こそ、この世界が差し伸べてくれる、永遠にもっとも近い側面だからです。
過去や未来を除いた「今」こそ真実の姿であるとするうちに、永遠というものの真価を認め始めることになります。
あるのは「今」だけであって、ただ「今」このときが聖なる出会いの機会を与えてくれるのであり、そうした出会いのなかにこそ救いを見出せるからです。
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その一方、 自我は、永遠のかわりに 自我そのものを拡大するのが時間の機能だと見なしています。
自我も 聖霊と同様に、時間の目標を自らのものとして解釈するからです。
自らの指図のもと、過去と未来が継続するということこそ、 自我が時間のなかに見て取る唯一の目的であり、そうすることで今という時を閉ざしてしまうので、 自我そのものが継続するのに、何の隔たりも起こり得ない。
それならば、 自我の継続性はあなたを時間のうちに留めることになりますが、 聖霊がそれから解放してくれます。
もし、あなたが 聖霊の救いの目標を分かち合うつもりなら、救いの手段について 聖霊の解釈を受け入れるようになる必要があります。
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そして、あなたも自分の機能を解釈するように、時間の機能というものを解釈するようになるでしょう。
もし、あなたが時間の世界において、自分の機能は癒しであるということを受け入れるなら、ただ癒しが起こり得る時間の側面だけを強調するようになります。
過去に戻って癒すことなどできません。
未来を手放すには、今ここで癒されなければなりません。
こうした解釈が、未来を現在に結びつけ、過去よりむしろ現在を拡張することになります。
しかし、あなたが「自分の機能は破壊することだ」と解釈するなら、今を見失い、過去に固執して確実に破滅的な未来にします。
そして、時間はあなたが解釈するとおりになります。
なぜなら、時間そのものは実在しないからです。
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