奇跡講座テキスト編13章13-5 二つの感情

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編13章「罪無き世界」より

 

13章13-5 二つの感情

ACIM-Text- chapter13-5-1

すでに述べておいたように、あなたにはただ愛と恐れという二つの感情があります。

愛は永遠なるものによって、永遠なるものに差し伸べられているので変わることはありませんが、絶え間なく交換されています。

こうして交換するうちに、その愛は拡張されています。

それは与えるごとに増えるからです。

その半面、一つ一つの幻想の内容は著しく異なるので、恐れはいろいろな形で現れます。

けれども、一つ共通して言えるのは、そのような幻想は全て気違いじみているということです。

そのようなものは見えもしない光景や、聞こえもしない音で成り立っています。

そして、分かち合うことなどできないような自分だけの世界を作り上げてしまいます。

そのような幻想は、それを作った当人にのみ意義があるといえるので、全く何の意味もなしません。

この世界で、そのような幻想を作った者は一人で行動しようとするわけですが、それはその当人だけがそれを知覚するからです。

 

ACIM-Text- chapter13-5-2

人はそれぞれ、自分の過去に基づいて心に描いた姿で自分の世界を埋めようとします。

このために個々の世界が異なるのは確かです。

しかし、その人の見るそのような姿は決して真実とは言えません。

それは、ただその人の兄弟たちに対する反応から作られたにすぎず、その人に対する兄弟たちの反応は含まれていないからです。

したがって、その人は自分がそのような姿に作ったということや、それが完全ではないということが分かってはいません。

それというのも、こうした姿は分離した心の中だけに知覚されるので、それを証明する者はほかにいないからです。

 

ACIM-Text- chapter13-5-3

こうした奇妙で影のような姿を通じて、正気でない人たちは自らの狂気の世界とかかわりを持とうとします。

というのも、その人たちは、このような姿を思い出させる者だけを見るからであり、まさにそうした者と関りあっています。

こうしてその人たちは、そこにいない者たちと意思の疎通を行い、そこにはいない者たちが正気でない人たちに答えもします。

そして、そのような答はその者たちに呼びかけた当人以外には誰にも聞こず、答えてもらえたと信じるのもその人だけです。

投影することを知覚するようになる訳で、それ以上のものを見ることはできません。

再三、あなたが自分の兄弟を攻撃したというのも、自分だけの世界の中にある影の姿をその兄弟に見たからです。

こうした理由から、あなたは自分自身をまず攻撃しなければなりません。

なぜなら、自分が攻撃するものは他者の中にはないからです。

そうしたものはただ自分自身の心の中には本当にあり、他者を攻撃するということで、あなたは文字どおり、そこにないものを攻撃していることになります。

 

ACIM-Text- chapter13-5-4

妄想を抱く者たちは、自分で自分に罪の宣告をしたとは気づかないので、極めて破壊的になり得ます。

死を望んではいないとはいえ、そのような宣告から自分を放免しようともしないでしょう。

だから、それぞれ自分だけの世界へと離れていき、そこでは何もかもことごとく秩序を失っている上、内側にあるものが外側にあるように見えてきたりします。

けれども、その人たちは内側にあるものを見てはいません。

なぜなら、自分の兄弟たちの真実の姿に気づくことができないからです。

 

ACIM-Text- chapter13-5-5

あなたは、ただ二つの感情を持っているだけなのですが、自分個人の世界では、そのどちらに対しても、まるでそれがもう一方のであるがごとくに反応しています。

愛はばらばらになった世界に留まることはできないので、そこに愛が現れたとしても気づかれることはないでしょう。

自ら抱く憎しみを自分の兄弟のものと見なすなら、あなたはその兄弟を見ていないことになります。

誰もみな自分が愛するものには近寄るし、恐れるものからは後ずさりするものです。

それなのに、あなたは愛に対して恐れをいだき、それから離れてしまいます。

けれども、恐怖心には魅惑され、それこそ愛だと信じて自分にそのような気持ちを呼び起こさせようとします。

あなただけの世界は、自らそこに招き入れた恐ろしい姿をしたもので満たされており、兄弟たちがどれほど愛を差し伸べようとも、あなたはそれを少しも見ていません。

 

ACIM-Text- chapter13-5-6

目を開いて自分の世界を見つめれば、あなたは自分が狂気の世界に引きこもっていると思いあたることがあるに違いありません。

そこにないものを見たり、音をたてないものの音が聞こえたりしています。

あなたがあらわにする感情は、ありのままの感情とは逆のものです。

誰とも意思の疎通をせず、まるで全宇宙の中で一人っきりであるかのように、実在から隔離されています。

狂気ゆえに実在を完全に見過ごしてしまい、どこを見ようとただ自分自身の分裂した心だけが見えます。

神が呼んでいるのに、それが聞こえないというのは、自分自身の声に心を奪われているからです。

そして、キリストの心眼によってみる心の像が見えていないというのも、自分だけに目を向けているからです。

 

ACIM-Text- chapter13-5-7

幼き者よ、あなたはこのような状態を父に差し出すつもりでしょうか。

もし、そのような状態を自分自身に提供するのなら、父に差し出していることは確かです。

ところが、神はそのような状態をそのままで戻すようなことはしないでしょう。

それは、神にとって相応しくないのであなたにも相応しいことではないからです。

しかも、神はあなたをそのような状態から解放し自由にするつもりでいます。

神の正気の答えは、あなたが自分自身に提供したものは真実ではありませんが、神の差し伸べてくれるものは決して変わっていないと知らせてくれます。

自分で何をしているのか分かっていない者も、狂気の沙汰とはどんなことかを学び、それを越えて見ることが出来ます 。

どのようにすれば、狂気の沙汰を否定し、平安のうちに自分だけの世界から出てこられるかを学ぶために、その答えは与えられています。

あなたは自分で否定したものを全て兄弟たちの中に見るようになりますが、それは自分自身の中にはそのような狂気はないと否定したからです。

あなたは兄弟たちを愛するようになるのであり、近寄ることによって自分自身に引き寄せることになり、あなたが神と分かち合う実在についての証人として見て取るようにもなります。

私はあなたと共にいるように、その兄弟たちとも一緒にいます。

そして、私達二人の心が一つとなっているがごとく、兄弟たちとも一つの心となり、あなたと私の二人して、兄弟たちをそれぞれの自分だけの世界から離れさせることになります。

父は私達全ての人を喜んで歓迎してくれる為、こうした喜びをこそ私達は神に捧げるべきです。

神が自らを与えてくれているそのあなたに、神の子は一人残らず与えられているからです。

そして、自分に与えられた神の贈り物を見分けるには、この神にその神の子たちを捧げなければなりません。

 

ACIM-Text- chapter13-5-8

心眼は光に左右されます。

闇の中で見ることなどできません。

けれども、闇、すなわち自分だけで眠っている世界でなら、目を閉じているにも関わらず夢の中では見えます。

だから、そこであなたは自分に見えるものを作ったのです。

しかし、その暗闇を放つと、もはや自分で作ったものなど何も見なくなります。

そうしたものを見るかどうかは心眼を否定することに左右されるからです。

けれども、心眼を否定すると見えなくなるというのではありません。

しかし、これこそ否認のなせるわざです。

そうすることで、あなたは気違い沙汰に順応し、自分だけの世界を作って自分の知覚を支配できるものと信じるからです。

だが、このためには、光を締め出さなければなりません。

光が射し込めば夢など消え失せ、あなたは見ることができます。

 

ACIM-Text- chapter13-5-9

心に見えるものを、自分の二つの目で捜そうとしないことです。

あなたは暗闇の中で見えるようにと、自分なりの見方を作ったのであり、このためにあなたは見誤っているからです。

こうした暗闇を越えたところ、とはいえなおかつあなたの内にこそ、キリストの心眼でみる心の像というものがあり、そのキリストは全てのものを光のうちに見ます。

あなたの「心像」は恐れから生じますが、キリストの心眼は愛から生じます。

そのうえ、キリストは実相の世界についてのあなたの証人として、あなたに代わって見てくれます。

キリストは聖霊の顕現であり、いつも実相の世界を見つめ、その世界について証言してくれる者たちの心に呼びかけては、あなたのもとへと引き寄せようとします。

あなたの内に見えるものを愛し、それを拡張しようともするでしょう。

そのうえ、父の元まであなたの知覚力を拡張させない限り、自らもそこに戻らないつもりでいます。

そして、そこに着いたら、もはや知覚することはありません。

キリストはあなたを父のもとへ連れ戻したからです。

 

ACIM-Text- chapter13-5-10

あなたには、ただ二つの感情があるにすぎず、その一つは自分で作ったがもう一つのは与えられたものです。

それぞれの感情はものの見方であり、それによって見えるものが違うので異なった世界が生まれてきます。

あなたは自分に与えられた心眼で見なさい。

なぜなら、キリストは自らの心眼によって自分自身をみつめるからです。

そして、あるがままの姿を見ることなので、キリストは自分の父が分かってきます。

あなたの最も暗い夢を越えて、キリストはあなたの内面に罪なき神の子を見るし、その神の子はそのようなあなたの夢で薄暗くなってもいない完全な輝きの中で煌いています。

そして、あなたはキリストと共に見つめるにつれて、こうしたことを確かに見るようになります。

そのキリストの心眼は、あなたへの愛の贈り物であり、あなたのために父からキリストに与えられたもからです。

 

ACIM-Text- chapter13-5-11

聖霊は光であり、その光の中にキリストがはっきりと現れています。

そして、キリストを見たいと思う者は、光を求めているので、誰でもみなそのキリストを見ることができます。

それは一人ぽっちのキリストを見るのではありません。

その人たち同様、キリストは一人ではないからです。

その人たちは神の子を見たので、キリストを受け入れ父を思い出せます 。

そして、こうしたことを全部理解するようになるでしょう。

自分の内面を覗き、闇をこえて我が内なるキリストを見たうえ、キリストだと気づいたからです。

キリストの心眼による正常な心で、愛をこめて自分自身をみつめ、自らを聖霊が見るがごとくに見ていると言えます。

そして、こうした自らの内なる真理を心眼でみることなので、この世界の美しいもの全てがあらわれて自分たちの上に輝くのです。

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編13章 「罪悪無き世界」目次

13-0  序論

13-1  無罪性と傷かざる強さ

13-2  罪なき神の子

13-3  救いに対する恐れ

13-4  時間の機能

13-5  二つの感情

13-6  今を見出す

13-7  実相世界の達成

13-8  知覚から叡知へ

13-9  罪悪感の雲

13-10  罪悪からの解放

13-11  天国の平安

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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