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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編11章 「神か、 自我か」より
11章11-8 問題と答え (その2)
ACIM-Text- chapter11-8-8
美しき神の子供よ、あなたはただ私があなたに約束したものを求めているに過ぎません。
私があなたを欺いたりすると信じているのでしょうか。
神の国は確かにあなたの内に在ります。
真理は私の内にあると信じなさい。
その真理があなたの内にあると私には分かっているからです。
神の子たちは、お互いに分かち合わないものなど何一つ持っていません。
神の子の誰かに真理を求めるなら、私からそれを求めたことになります。
自分の中に答を持たない者は一人もいません。
それは自分にその答を求めるものには、誰にでも与えるためです。
ACIM-Text- chapter11-8-9
神の子に何を尋ねたとしも、父があなたに答えてくれるでしょう。
キリストは自らの父を見損なうことなく、父も キリストを見損なってはいないからです。
では、自分の兄弟を見損なわないで、その兄弟が抱く愛に満る思いだけをその人の実在だと見なさい。
というのも、あなたがその人の心は分離していないと否定すれば、自分の心を癒すことになるからです。
その兄弟を、父が受け入れているように受け入れ、 キリストと和解させること、 キリストがその人の癒しとなりあなたの癒しとなるからです。
キリストは神の子であり、父からどのようにも分離してはおらず、胸に抱く思いは一つ残らず父の思いと同じように愛に満るものであり、その思いによって キリストは創造されました。
神の子を見損なわないようにしなさい。
そのために自分自身を見損なわずにはおられなくなるからです。
そして、自分を見損なうなら、父を見損なっていることになりますが、その父に偽りなど有り得ないのです。
ACIM-Text- chapter11-8-10
実相の世界においては病気というものはありません。
そこには、分離もなければ、分割もないからです。
愛に満る思いのみ認められるのであり、あなたの助けを得られないものは一人もいないので、神の援助者があなたと共にどこへでも行ってくれます。
この援助者に助けを頼み、快くそれを受け入れるようになるに従い、あなたはその援助者を望むので、その援助者を誰にでも分かち与えるようになります。
あなたの癒す力で癒せないものは何一つありません。
何に対してだろうとあなたの簡単な願いを拒まれることはないからです。
神の答えを前にして、消え失せないような問題などあるでしょうか。
ないとすれば、自分の兄弟の真実の姿を学びたいと頼みなさい。
そうすればこうしたことをその人の中に知覚するようになり、自分の美しさが、その人の美しさの中に、映し出されているのが見えてきます。
ACIM-Text- chapter11-8-11
あなたの兄弟は自分自身をいろいろに見て取るのですが、そのような変わりやすい知覚を受け入れないでおくことです。
その兄弟の分離した心は、あなたの分離した心であり、あなたはその兄弟が癒されることなくして自分の癒しを受け入れるようにはならないからです。
それというのも、あなたは天国を分かち合うのと同じように 実相の世界を分かち合うし、その兄弟が癒されることがすなわちあなたの癒しとなるからです。
自分自身を愛するとは、自らを癒すことであり、自分に属する部分を病気だと知覚しておいて、自分の目標を達成することできません。
兄弟よ、私達はともに生き、たがいに愛し合うがごとく一緒に癒すのです。
神の子を見損なわないでおきなさい。
神の子は自らと一つであり、父とも一つだからです。
父の愛し子である神の子を愛しなさい。
そうすれば、自分に対する父の愛が分かってくるでしょう。
ACIM-Text- chapter11-8-12
もし、あなたが兄弟の中に躓くもとになるものを知覚するなら、自分の心からそのもとを引き抜きなさい。
あなたは キリストのために気を悪くしているうえ、 キリストを見損なってもいます。
キリストには躓きのもとではないので、 キリストに癒されるとも、 キリストのために気を悪くしたりしないことです。
自分で知覚することがあなたの気を悪くさせるとすれば、自分自身に腹を立てているのであり、神が非難しようとしない神の子を自分で非難していることになります。
聖霊に、神の子自身のためにならない躓きのもとをみな取り除いてもらい、 聖霊の導きを通してのみ知覚しなさい。
そうすれば、その 聖霊があなたにどんな非難もしないですむようにしてくれます。
聖霊の癒す力を受け入れ、その 聖霊があなたのもとへよこす全ての人のために使うことです。
聖霊は神の子を癒そうと意図しており、その神の子を見損なっていないからです。
ACIM-Text- chapter11-8-13
子供たちはぞっとするような幽霊や怪獣や竜の怪物などを見ているものと思い、恐怖におののいています。
けれども、もし誰か信用できる人に、自分の見ているものの意味について尋ねた上で、本当の姿のほうをとることにし、自分でした判断を快く手放すつもりなら、それと一緒に恐れもなくなります。
その子供が手助けをえて、「幽霊」はカーテンだったし、「怪獣」は何かの影が映ったもので、「竜の怪物」はもう怖くもない夢だったと説明がつけば、自分が恐れていたことを笑って胸をなで下ろすでしょう。
ACIM-Text- chapter11-8-14
我が子よ、あなたは自分の兄弟たちを恐れ、父を恐れ、自分自身をも恐れています。
しかし、単に見損なっているに過ぎません。
全ての人が何であるのか、実在について教えてくれる教師に尋ねてみなさい。
そして、その教師の答えを聞けば、あなたも自分が恐れていることを笑い、心の平安が恐れに取ってかわるでしょう。
恐れのもとは、実在にあるのではなく、実在を理解していない子供たちの心の中に恐れが生じるからです。
ただ十分に理解していないので恐がるだけで、本当に知覚するようになれば恐れを抱かなくなります。
そうすれば、怖くなったときにはまた真理について尋ねるでしょう。
あなたの兄弟たちや、父または自分自身の真実の姿があなたを恐がらせるのではありません。
全ての人が何なのか、あなたには分かっていないので、幽霊や怪獣や竜の怪物であるがごとくに見て取るのです。
何が全ての人の実在なのか、それが分かっている存在に尋ねてみることです。
そうすれば教えてもらえます。
あなたは全ての人を理解しておらず、自分で見ているものに欺かれているので、自分の抱く恐れを実在によってぬぐい去ってもらう必要があります。
ACIM-Text- chapter11-8-15
あなたが頼みさえすれば、恐れを真理と交換してもらえるのなら、それを交換しょうとしないでしょうか。
神があなたを見損なっておられないとすれば、自分で自分を見損なえるだけだからです。
けれども、自分自身についての真理を 聖霊から学べるし、その 聖霊が神の大切な部分であるあなたに偽りは有り得ないと教えてくれます。
自分自身を偽りなく見て取るなら、自分で作り出した間違った世界の代わりに、 実相の世界を受け入れるようになるでしょう。
そのあと、神はあなたの方に屈み、あなたのために最後の歩みを取って、神ご自身のもとへとあなたを引き上げてくれるのです。
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