←19-4-A 第一の障害-それを取り除きたいという欲求〔奇跡のコース テキスト編〕
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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編19章19-4-B 第二の障害‐「 身体はそれが提供するもののゆえに価値がある」という信念 本文
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すでに述べたように、平安が最初に乗り越えなければならない障害は、平安を手放したいというあなたの欲求です。
罪悪の魅力が支配しているところでは、平安は望まれることはありません。
平安が超えていかなければならない二番目の障害は、第一の障害とも密接な関係がある「 身体はそれが提供するもののゆえに価値がある」と信じていることです。
なぜなら、ここに罪責感の魅力が 身体に顕現されていて、 身体のなかに見いだされたりしているからです。
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平安がこの価値を自分から奪おうとしている、とあなたは考えています。
この価値を平安が取り上げて、自分は宿なしにされてしまうものと、あなたは信じています。
だから、あなたが平安を宿らせる場を拒むつもりでいるのは、そのせいです。
こんな「犠牲」は代償が大きすぎて、自分にできそうにないことを要求されている、とあなたは感じています。
それは犠牲をはらうことでしょうか、それとも、解放されることでしょうか。
身体の中に 救済があるという自分の抱いている奇妙な信念を正当化するどんなものを、 身体が実際に与えてくれたでしょうか。
これは死の信念だということが、あなたには分らないのでしょうか。
贖罪は殺害として捉える知覚の焦点が、ここにあります。
これこそ、愛は恐れだという想念の源でああります。
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聖霊の使者たちは 身体をはるかに越えたところまで送り出され、心にむかって、聖なる霊的交わりに加わり、心安らかでいるようにと呼びかけます。
それが、私があなたのためにその使者たちに与えたメッセージです。
身体を見るというのは、恐れの使者たちだけです。
なぜなら、彼らは苦しみ得るものだけを捜そうとするからです。
苦しみ得るものから離れさせられるのは犠牲を払うことでしょうか。
聖霊はあなたに 身体からの悦びという希望を犠牲にすることを、あなたに強制しているのではありません。
身体には悦びの希望など全くないのです。
ただし、 身体はあなたに苦痛にたいする恐れを生じさせることもできません。
苦痛だけが、 聖霊が求めている唯一の「犠牲」であり、 聖霊はまさしくこれを取り除こうとしているのです。
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平安はあなたからただ永遠なるものへと拡張され、それはあなたのうちなる永遠なるものから外へと広がっていきます。
平安は他のものをすべて超えて流れていくのです。
二番目の障害も一番目の障害と同様、堅固なものではありません。
なぜなら、あなたは、平安を取り除くことも、平安を制限することも、望んではいないからです。
あなたが平安と平安の波及の間に差し挟もうとする障害は、自分自身の意志とその達成の間にあなたが置く防壁以外には何もないのではないでしょうか。
あなたが望んでいるのは、聖餐であり、恐れの饗宴ではありません。
あなたが望んでいるのは、 救済であり、罪悪感から生じる苦痛ではありません。
そして、あなたが望んでいるのは、父が自分の発祥の地であり、一握りの土の塚ではありません。
あなたの聖なる関係のなかに、あなたの父の子がいます。
彼は神とともにあずかる霊的交わりを失ってはいないし、自分自身との霊的交わりも失ってはいません。
あなたは自分のきょうだいとつながることに同意したとき、あなたは確かにそうであるということを確認しました。
これには何の代償もいりません。
そこには、代償から解放されるだけのことがあるだけです。
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あなたは自分の幻想のために非常に大きな代償を払ってきました。
ところがあなたがそうまでして代償を払ってきたものは、何一つ平安をもたらしてはくれませんでした。
天国を犠牲にすることは不可能であり、あなたに犠牲を要求されるはずがないということは、あなたは喜ばしいと思わないでしょうか。
私たちが一つに結ばれているところには、あなたはどんな障害物も置くことはできません。
それというのも、私はあなたの聖なる関係のなかにすでにいるからです。
私たちはすべての障害物を一緒に乗り越えるでしょう。
なぜなら、私たちが天国への門の外側ではなくて内側に立っているからです。
内側から門を開き、平安がそこを通りぬけて疲れはてた世界に祝福を与えにいくにまかせるのは何と簡単なことでしょう。
あなたが無限なるものにつながったなら、私たちが一緒に防壁を通り抜けるのは難しいことでしょうか。
罪悪の終焉は、あなたが与えるべくあなたの手の中にあります。
あなたは今、それを与えるのをやめて、きょうだいのなかに罪悪を見つけようとしたいでしょうか。
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私を、あなたにとっての罪悪の終焉を象徴するものと見なしてほしいのです。
そして、私を見るように、あなたのきょうだいを見なさい。
神の子の犯したとあなたが信じている罪のすべてついて、私を 赦して欲しいのです。
そうすれば、あなたの 赦しの光のなかで、その人は自分が誰なのか思い出し、一度も実在しなかったことなど忘れるでしょう。
私はあなたに 赦しを請います。
なぜなら、もしあなたが有罪であるなら、私も有罪に相違ないからです。
しかし、もし、私が罪悪を乗り越え、この世界に打ち勝ったとすれば、あなたも私と共にいたのです。
あなたにとって、私がどう意味されるかが、あなたが自分自身のなかに何を見るかが決まるということを思い出すとき、あなたは私の中に罪悪の象徴として見ようとするでしょうか、それとも罪悪の終焉の象徴とみるでしょうか。
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あなたの聖なる関係の中から、真理が真実なるものを明らかに示し、愛は愛そのものを見つめます。
救済は、あなたが私の父と私に差し出した家の奥深くから流れ出ます。
そして私たちは一緒にそこに居て、父と神の子とが一つにあずかる静かな霊的交わりのうちに結ばれることになります。
信に満つる者たちよ、あなたのうちなる父と神の子の聖なる結合のもとに来なさい!
そして、あなたに差し出されているものから、離れていようとなどしてはなりません。
天国の中に平安の住むべき家を与えてくれたあなたに感謝して、それが差し出されています。
罪悪の終焉という喜びのメッセージを全世界に向けて送りなさい。
そうすれば、全世界が応えるでしょう。
すべての人が、罪が終わったという証しを差し出して、罪の力は永遠に消え去ったという証拠を見せてくれる時、自分がどれほど幸せを感じるか、考えて見なさい。
罪への信念がなくなったとき、罪悪感などどこに存在し得るでしょう。
死を支持する者の声がもはや聞かれなくなったら、いったい死はどこにあるのでしょう。
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あなたの数々の幻想から私を 赦してほしいのです。
私がしなかったことに対して負わされた処罰から私を解放して欲しいのです。
そのようにしてあなたは、きょうだいに自由を教え、そして私を解放することで、私が教えた自由を学ぶようになるでしょう。
私はあなたの聖なる関係の中にいるというのに、あなたは自分で自由をさえぎるためにおいた障害の背後に私を閉じ込め、あなたのもとに通じる私の道を閉ざそうとしています。
ところが、すでにそこにいる存在を遠ざけておこうとしても、それは不可能なのです。
そして、その存在のおかげで、私たちがすでにともにあずかっている霊的交わりが、新しい知覚の焦点になることが可能であるのです。
それは、あなたの内なる光を全世界にもたらす新しい知覚法なのです。
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