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奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編19章19-4-D ⅰベールを取り去る 本文
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これこそ、罪で十字架にはりつけされ、苦痛から解放されるのを待っているあなたのきょうだいです。
その人だけがあなたに 赦しを出し出せるのに、あなたはその人に 赦しを差し出したいとは思わないでしょうか。
その人は自分の救いのために、あなたの救いをあなたに与えるでしょう。
このことは、神が命ある一切のものを創造し愛しているということと同じように確かなことです。
そしてその人はそれを真に与えるでしょう。
なぜなら、それは差し出されるのと同時に、受け取られるものです。
あなたが自分のきょうだいに天国の恩寵を差し出すことができないまま、自分のもっとも聖なる友からはそれを受け取れるという天国の恩寵は何一つありません。
あなたのきょうだいをそうした恵みを与えずにおくままにしておいてはなりません。
なぜなら、あなたがそれを受け取ることで、それをその人に差し出すことになるからです。
そしてその人は、あなたがその人から受け取ったものを、あなたから受け取るでしょう。
救いが、あなたにそれをきょうだいに与えることによりそれを受け取るように、あなたに与えられています。
あなたがだれを許すかそれは自由であり、あなたは与えるものを共有します。
あなたのきょうだいが自ら犯したと思っている罪と、あなたがその人の中に見ていると思っている罪悪のすべてを 赦しなさい。
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ここに聖なる復活の場があり、そこに私たちは再び来ます。
そこは、救いが達成され受け取られるまで、私たちが何度でも戻ってくる場です。
きょうだいを咎めようとする前に、その人とは誰であるのか、考えてみなさい。
そして、その人が神聖であること、そしてその人はあなたのために聖性という賜物が与えられていることについて、神に感謝を捧げなさい。
喜びを持ってその人につながり、動揺し苦しみに苛まれているその人の心から、罪悪の痕跡をぜんぶ取り除きなさい。
あなたがその人に担わせ、その人が自分のものとした罪の重荷を、その人が持ち上がることの手助けをしなさい。
そして、よろこびの笑い声をあげながら、それを軽々と遠いところに放り投げてしまいなさい。
それをその人の額に棘のように押しつけたり、その人をそれに釘付けにしたりして、救われないま絶望したままにしておいてはなりません。
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あなたのきょうだいに信を与えなさい。
なぜなら、信と希望と慈悲は、あなたが与えるためにあなたに与えられているものだからです。
賜物は、与えることを知っている手に与えられます。
きょうだいをよく見て、あなたが受け取ることになる神の賜物をその人のなかに見いだしなさい。
もう少しで復活祭、復活のときです。
お互いに救いを与えあい、分かち合いましょう。
そうすれば死の中で分離するのではなく、復活において一なるものとして甦ることができます。
私があなたのために 聖霊に与えた自由の賜物を見なさい。
その同じ賜物を 聖霊に差し伸べて、あなたは自分のきょうだいと一緒に自由になりなさい。
そしてこれと同じ賜物を 聖霊に差し出しつつ、あなたときょうだいも共に自由になりなさい。
そして、それを与えることにより、あなたが与えたものへのお返しとして 聖霊からそれを受け取りなさい。
私たちがこの聖なる場で出会い、同じ決断ができるようにと、 聖霊はあなたと私を一緒に導きます。
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私がここであなたを自由にしたように、あなたもきょうだいを自由にしなさい。
それと全く同じ賜物を与え、どんな非難の理由も持たず、その人を見なさい。
私があなたを見ているように、あなたもきょうだいに罪なきものと見て、その人が自分自身の中に見ている罪を看過しなさい。
苦悩と死が漂うこの庭園の中で、自由と罪からの完全な解放をきょうだいに差し出しなさい。
そのようにして、私たちは一緒に神の子の復活への道を用意します。
そして、罪も死も知らず、ただ永遠なる命のみ知る父を思い出せるように、その人をよみがえらせます。
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私たちはともに、ベールの向こうがわにある臨在の中へと消え去ります。
それは、失われるためでなくて見つけ出されるため、見られるためでなく知られるためです。
そして、知ることにより、神が定めた 救済計画のなかで、成し遂げられないままになるものは何一つなくなります。
これが旅の目的であり、その目的なしでは旅は無意味だからです。
ここに神の平安があり、それは永遠に神からあなたに与えられています。
ここにあなたの求める休息と静けさがあり、これこそ旅が始まった時からの旅の理由です。
天国はあなたがきょうだいに戻すべき贈り物、あなたが神の子に対して、その本来のすがた、父が創造したままのすがたをその人に感謝して差し出す恩返しです。
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こうした贈り物の与え主を自分がどのように見てとりたいのか、慎重に考えなさい。
なぜなら、その人をあなたがどう見なすかで、贈り物そのものもそれに見合ったように見えてくるからです。
その人を、罪悪感を与える人と見なすか、それとも救いをもたらす人と見なすか、それによってあなたは、その人が差し出すものをそれに応じたように見るし、また受け取ることになります。
十字架にはりつけにされている者は、苦しみの中にあるので、苦痛を与えます。
しかし救われた者は苦痛を癒されているので、喜びを与えます。
誰もがみな自分が受け取る通りに与えるわけですが、自分は受け取るものを何にするは自分で選択しなければなりません。
そして、自分が何を与え、また何を与えられるかで、自分が何を選択したのかが分るでしょう。
また、地獄であれ、天国であれ、何ものもその人の決定を邪魔する力は与えられていません。
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あなたがはるかここまできたのは、その旅を自分で選んだからです。
それにだれ一人、無意味だと信じることを引き受けりするものはいません。
あなたが信を置いているものは今でも忠実であり、実に穏やかながら実に力強い信のうちにあなたを見守っているので、それはあなたを持ち上げベールの遥かかなたにまで運び、神の子を父による確かな庇護の内に安全に置いてくれるでしょう。
これのみが、この世界とそこを通り抜ける長い旅路に、それらの持ち得るあらゆる意味を与えて目的があります。
この目的がなければ、この世界やこうした旅路はなんの意義もなくなります。
あなたは自分のきょうだいは、いまだにそうしたことに目的があるという確信を持たないまま、一緒に佇んでいます。
しかし、あなたが、神聖なる友の中に目的を見て、それがあなた自身の目的として気づく力は与えられています。
奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編19章目次
19-4-B 第二の障害‐「 身体はそれが提供するもののゆえに価値がある」という信念