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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第21章 「理性と知覚」21-1
第21章 21-1 忘れられた歌
ACIM-Text- chapter21-1-1
目の見えない者たちが「見ている」のは想像されたものでしかないということを決して忘れてはなりません。
なぜなら、世界が本当はどのように見えるのか、その人たちは知らないからです。
その人たちは、永遠に間接的な証拠から、何が見えるのかを憶測しなければなりません。
そして、認識していなかったもののために躓いて転び、閉っていると思っていたが実は開いていた扉を無傷で通りすり抜けたりする時に、その人たちは自分の憶測を再構成しなければなりません。
あなたについても同じです。
あなたは見ていません。
あなたの憶測の手がかりは間違っています。
それゆえに、あなたは自分が認識していなかった石に躓き転び、一方で閉じていると思っていた扉を通り抜けられることに気づく事が、出来ずにいます。
しかし、見えない目のすぐ前で、その扉は開かれたまま、あなたを歓迎しようと待ち受けているのです。
ACIM-Text- chapter21-1-2
その代わりに何を見ることが出来るかを憶断しようとするのは、何と愚かな事でしょう。
世界はどのように見えるものなのだろうと想像する必要はありません。
あなたがそれをあるがままに認識するようになる前に、それは必ず見られるものです。
どの扉が開いているのかがあなたに示されることは可能であり、どこに安全があり、どの道が闇に繋がり、どの道が光に通じるのかを、あなたは見ることが出来ます。
憶断は必ずあなたに間違った道を教えますが、心眼はどこに行くべきかをあなたに見せてくれます。
どうして憶測をする必要があるでしょう。
ACIM-Text- chapter21-1-3
苦痛を通して学ぶ必要はありません。
柔和なレッスンは、楽しく習得され、喜んで覚えられます。
あなたは自分に幸せを与えるものを学びたいと思い、忘れないようにしようとします。
あなたが否定しようとするのはこの点ではありません。
あなたが疑っているのは、このコースを学ぶ手段が、コースが約束している喜びをもたらしてくれるかどうかという点です。
もし、それが喜びをもたらしてくれるとあなたが信じていたなら、それを学ぶのに何の問題もないはずです。
今のところ、あなたは幸せな学習者ではありませんが、その理由は、あなたが未だに判断することよりも心眼の方がより多くを与えてくれるということに確信が持てていない上に、その両方を一度に持つことは出来ないという事を既に学んでしまったからです。
ACIM-Text- chapter21-1-4
目の見えない者たちは、自分の世界に合わせて自分を調整することによって、その世界に慣れていきます。
その人たちは、その中で暮らしていく方法を知っていると思っています。
その人たちは、それを喜びを通して学んだ訳ではなく、ただ自分には乗り越えられないものと思い込んだ限界から来る厳しい必要性に迫られて学んだのです。
そして、その人たちは、未だにこのことを信じつつ、そうした学びを大事にし、自分の目が見えないからこそ、それらに執着しています。
そうした学びこそが、自分を盲目のままに引き留めているということを認識しなさい。
このことを、その人たちは信じません。
それゆえに、その人たちは自分たちが「見る」ことを学んだ世界を想像の中に持ち続け、自分にとっての選択肢は、その世界か無かのどちらかでしかないと信じています。
その人たちは、苦痛を通して学んだ世界を憎んでいます。
そして、そこにあるとその人たちが思っている一切のものが、自分たちはいかに不完全で、激しい剥奪感を持っていることを思い出させるのに役立っています。
ACIM-Text- chapter21-1-5
その人たちは、自分たちの生命や住む場所をそのように定義して、自分たちが持っているほんの僅かなものを失うのを恐れ、必要と思えるままに自分をその世界に合わせて調整します。
そして、 身体というものを、自分や兄弟が持っている全てだと見ている者たちも、全て同じ事をしています。
その人たちは、互いに接する事を試みては何度も失敗を繰り返します。
そして、孤独に慣れてしまい、 身体を保持することが、自分が僅かな所有物を保つことだと信じています。
耳を澄まし、今から話すことをあなたが覚えているかどうか考えてみなさい。
ACIM-Text- chapter21-1-6
耳を澄ましなさい。
多分あなたは、完全には忘れ去られてはいない往古の状態を微かに思い出すでしょう。
それははっきりとではないかもしれませんが、全然覚えがない訳でもありません。
それはまるで、とうの昔に題名を忘れた歌のようであり、それをあなたはどこで聞いたのかも全く覚えていません。
その歌の全部ではありませんが、特定の人や場所や物などに付随していない旋律のほんの一部が、あなたと共に留まっていました。
しかし、そのほんの僅かな断片から、その歌の美しさや、それを聞いた時の素晴らしさや、その場にいてあなたと一緒にそれを聞いていた人たちを自分がどれほど愛していたか、を思い出します。
ACIM-Text- chapter21-1-7
その歌の調べそのものは無です。
しかし、あなたがそれを自分の中に抱き続けていたのは、その調べそのもののためではなく、それが思い出すと涙ぐまずにはいられないほど愛おしく大切な何かの記憶を、そっと呼び覚ますものだからです。
あなたは思い出せます。
しかし、思い出せば、これまで自分が学んだこの世界を失うことになると信じて恐れているのです。
それでも、あなたはこれに比べれば、自分で学んだ世界の中にある何であれ、その半分も大切ではないと分かっています。
耳を澄ましなさい。
そして、あなたが遥か昔に知っていた往古の歌を、覚えているか確かめなさい。
その歌は、大切にするようこれまで自分に教えてきたどんな旋律よりもずっと大切にされてきた歌です。
ACIM-Text- chapter21-1-8
身体を越え、太陽や星々も越えて、目に見える全てのものを通り越したところ、しかしどこか見覚えがあるところで、金色の光のアーチがあり、あなたが目を向けるとそれは見る見る延びていって、一つの大きな輝く輪となります。
その輪のふちは消え去り、その中にあるものの封印が解かれます。
光は拡大して、ありとあらゆるものを覆い尽くし、切れ目も限界も無く永遠に輝きながら、無限へと拡張されていきます。
その内側では、全てが完璧な連続性をもって結ばれています。
また、その外側に何かが存在すると想像することも不可能です。
この光が達していない場所はどこにもないからです。
ACIM-Text- chapter21-1-9
これが、神の子が持つ心眼であり、あなたはそれをよく知っています。
ここに在るのが、父を知る者の視覚です。
ここに在るのが、あなたの本性についての記憶です。
すなわち、この一部をなし、その全てを内に抱く存在、そして全てが自らの中で確かに繋がり合っていて、時図からも全てと確かに繋がっている存在であるあなたについての記憶です。
身体ではなく、これをあなたに見せることの出来る心眼を受け入れなさい。
先ほど述べた昔の歌をあなたは知っています。
それもよく知っています。
神の子が今も父に向かって歌うこの往古の愛の賛美歌ほどあなたにとって大切なものは他には決して有り得ないでしょう。
ACIM-Text- chapter21-1-10
そして、今や目の見えない者が歌うことが出来ます。
なぜなら、創造主を讃えてその人たちが歌う歌は、自ら自身をも賛美するからです。
その人たちが作り出した盲目の状態は、この歌の記憶に抗い続けることは出来ません。
そして、その人たちは、神の子の心眼を見て、自分たちが誰について歌っているのか思い出します。
奇跡とは、この想起以外の何でしょうか。
そして、この記憶を内に抱いていない者がいるでしょうか。
一人の中の光は、全ての人の中のその光を目覚めさせます。
そして、あなたがそれを兄弟の中に見る時、あなたはまさしく全ての人のために思い出しているのです。
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