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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編「14章 真理をめざす教え」より
14章14-7 聖霊と知覚を分かち合う
ACIM-Text- chapter14-7-1
望みのものは何でしょうか。
光か闇のどちらか、または叡知か無知のどちらか一つはあなたの望み次第ですが、両方は手に入りません。
対立しているものは、離れたままにしておくのではなて、一つにする必要があります。
対立するものはただあなたの心の中で分離しているに過ぎないのだから、心を一つにすれば和解できるし、これはあなたについても同様です。
心を一つにすると真実でないものは全て消滅するはずです。
真理とはまさに心が一つになることだからです。
光が射すと闇は消滅するがごとく、叡知に目覚めはじめると徐々に無知ではなくなります。
知覚することは無知が叡知に変わる手段。
ただし、騙されないように知覚しなければなりません。
そうしないと、知覚することが真理を捜す手助けになるどころか、無知を伝える手段になってしまいます。
ACIM-Text- chapter14-7-2
真理を探し求めるとは、単に真理の邪魔になるものを一つ残さず正直に探し出すことに他なりません。
真理は確かに実在します。
無くなることもなければ、捜したり見つけたりする必要もありません。
あなたがいるところなら何処にでも在ります。
なぜなら、真理は心の内にあるものだからです。
ただし、それに気づくこともあれば気づかないこともあり、自分にとって真実であり得る場合もあれば、そうでない場合もあります。
もし、自分で隠したら、自分にとっては実在しなくなります。
それは、単に恐怖心で包み隠してしまったからです。
恐れという礎石の上に、あなたはいわば狂気の信仰体系を建てています。
そして、その一つひとつの礎石の下には真理が隠されています。
しかし、あなたにはこれが分かるはずがありません。
なぜなら、恐怖心から真理を隠しているので、恐れをよく見ようとすればするほど見えにくくなり、それが隠しているものが徐々にはっきりしてくるということなど信じたいと思わないからです。
ACIM-Text- chapter14-7-3
知らないと思っている者に、本当は知っていると納得させるのは不可能なことです。
当人の観点からみれば真実だとは言えないからです。
しかし、神は確かに分かっているので、真実です。
この二つの観点は「知らない」とはどういうことなのかを、真反対から見ています。
神にとっては、知らないということは不可能です。
したがって、それは全くのところものの見方が問題ではなくて、単に在りもしない何かを信じているに過ぎません。
知らないと思っている者はただこんな信念を抱いており、そのために自分自身について間違った思いを持っているのです。
創造されたとおりとはいい難い姿になるように、自分勝手に限界を定めてしまっています。
創造されたということは観点によるどころか確実なことです。
確実でなかったことが確実だと思えるようになると、確実でなかったということに真実性が無くなります。
ACIM-Text- chapter14-7-4
私達が強調してきたのは、望ましくないものを望ましいものにし、あなたの欲しくないものを欲しいと思うものにすることです。
あなたはこのように自分が救われるに違いないと認識するようになります。
もし、ものごとを切り離して考えようとするとはどういうことかよく考えてみれば、それがよくわかってきます。
ものごとを切り離して考えるとは歪んだ思考過程をとることであり、そうすることで同時には成り立ち得ない二つの信仰体系を両方とも維持しようとします。
この二つの体系を一緒にしようとしても、両方合わせて受け入れるのは不可能になります。
しかし、一方をもう一つ別の方から秘密にしておけば、別々になっていることで両方とも実際、同等に働いているように思えます。
したがって、二つを合わせようとしたりすると恐れを生み出すことになります。
もし、両方とも見えると、その片方を受け入れるのをやめなければならなくなるからです。
それぞれの体系が相手方を否定するので、両方持つことはできません。
二つが離れているとこうした事実が見えなくなります。
なぜなら、別々のところにありさえすれば、それぞれを断固として信じることはできるからです。
二つを一緒にすると全く両立が難しいという事実がすぐ明らかになります。
同じ場所で両方見えているので、どちらかがなくなってしまうでしょう。
ACIM-Text- chapter14-7-5
心が闇を信じて、それを手放そうとしないのなら、光は暗闇に入り込むことはできません。
真理は無知と戦おうとはしないし、愛は恐れているものを攻撃することもありません。
保護を要しないものは、自らを護ろうとはしません。
防衛するということは、あなたが作り上げたことです。
神はそれを知ってはいません。
聖霊は、あなたが真理に反対するための防衛策を作ってしまったがゆえに、それを真理の為に使うだけです。
その目的に従って、 聖霊は鋭い理解力でそうした防衛策を単にあなたが防衛という名で攻撃したものに対する呼びかけに、換えてしまうに過ぎません。
防衛策は、あなたが作った全てのものと同様、穏やかにあなたのためになるものに変える必要があります。
だから、 聖霊によって、自己を破壊する手段は自己を保存し解放する手段に変えられることになります。
大変な仕事を課せられてはいますが、 聖霊には神の力というものがあります。
したがって、 聖霊には容易いことなので、あなたのためにその仕事を与えられるやいなや、すぐやり遂げてしまいます。
神に頼まれたことを 聖霊はどうやって果たせるのだろうかと不審がったりして、あなたが自分の心に平安を取り戻すのを遅らせることのないようにしなさい。
どうやるかは、それが分かっている存在に任せておけばいいのです。
大変な仕事を自分自身でするように求められている訳ではありません。
あなたは単に、 聖霊が勧める僅かなことをするように求められているに過ぎません。
それも、ただ 聖霊が頼んでいるのなら自分にできるであろうと、ほんの少しだけ 聖霊を信頼すればいいのです。
頼まれたことは全て、いかに簡単に全うできるか分かるでしょう。
ACIM-Text- chapter14-7-6
聖霊にはあなたに頼みたいことが一つだけあります。
それはあなたが 聖霊に分からないようにしまい込んでいる秘密を一つ残さず打ち明けて欲しいということです。
扉という扉をぜんぶ開けて、暗闇を明るくしてもらいたいと 聖霊を招きなさい。
願いに応じて、喜んで入ってきてくれます。
闇のなかにいるような思いを打ち明けさえすれば、 聖霊はそれに光をあててくれます。
しかし、あなたが隠そうとするものを、見ることはできません。
聖霊はあなたのために見てくれるとはいえ、あなたも一緒に見ようとしなければ、 聖霊には見えません。
キリストの心眼は 聖霊だけのものではなく、あなたと双方のものです。
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