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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編14章 「真理をめざす教え」より
14章14-1 学びの条件
ACIM-Text- chapter14-1-1
もし自分が恵まれているにも関わらず、それを知らないとすれば、恵まれているに違いないと分かるようになる必要があります。
叡知は教えられて分かるようになるものではありません.
しかし、あなたは叡智が分かるための条件を投げ捨ててしまっているので、まずそれを身につけなければなりません。
あなたは人を祝福できるようになれるとはいえ、自分にないものを与えることは出来ません。
そうすると、恵みを差し出すとは、先ず自分自身が恵まれているに違いありません。
それにその恵みを自分のものとして受け入れたのも確かでしょう。
そうでなければどうして人に与えたりできるでしょうか。
だから奇跡は確かにあなた自身、恵まれているという証しになるのです。
もし完全な 赦しを与えようとしているとすれば、罪悪感を抱かないことにしたに違い在りません。
そして、自分自身のために贖罪を受け入れ、自分には罪がないことが認識しつあります。
自分のために成されたということ、自分にとっては未知のこと、どうすればそれが分かるようになれるでしょうか。
それにはそうしたことはすでに為し遂げられたこととして、自分の成すべきことをするしかないでしょう。
ACIM-Text- chapter14-1-2
否定することで成りたつ世界、そして方向を見失った世界というものは間接的に真理を証明してくれるものを必要としています。
あなたがこうした必要性を知覚するようになるとすれば、それは否定するとは知りたくないと決断したということだと自分で悟る時です。
つまり、この世界の論理に従うと無に帰することにならざるを得ないというもの、それが実在しないものを目指しているからです。
もし夢のなかにしかないものを手に入れたり与えたり、そこでしかなれないものになろうと決断するなら、自分の思いを故意に度々忘れるようになるに違いありません。
そのうえ自分があらゆるものを持ち、与え、全てであるとしても、こうしたことをみな否定すれば思考体系は遮断され、真理から完全に分離してしまいます。
これこそ狂気の世界そのものです。
そこで狂気の沙汰がどれほど浸透しているか侮らないでおくことです。
あなたに見えるものでその狂気に染まっていないものは何一つありません。
しかし、あなたとしては自分の夢こそ神聖なるものと確信しています。
それゆえに、そんな夢を持っているあなたの心の中に、神が 聖霊を宿らせてくれたのです。
ACIM-Text- chapter14-1-3
見るということは必ず自分の外に目をやるということです。
あなたの思いや考えが全面的にあなたのものだとすると、自分で作った思考体系は永遠に不明瞭なものになるでしょう。
神の子の心が投影したり拡張したりする想念は、自分でそれに与える力が全てこもっています。
自分に神と分かち合っている想念があるなど神の子には信じられないことなので、自らでっち上げた想念のほうを自分の信念としたのです。
そのうえ真理ではなくて、そんな信念を守り大事にすることを選んでしまいました。
それを取り上げられてしまうようなことにはなりません。
ただ、そんなことを取り消すための源は本人の中にあるので、自分で諦めることはできます。
この世界の論理は全く気違いじみており、それに従うと無に帰することになると教えてくれるものなど、この世界には何一つありません。
けれどもこんな気違いじみた論理を思い付いた当人の心のうちにこそ、それが無に帰することになると分かっている存在が在ります。
そして、その存在には全てのことが分かっています。
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聖霊の導いてくれる方向でなければ、それがどの方向にあなたを導くにせよ、どこにも行き着くはずがありません。
聖霊には真実だと分かっていることをあなたが否定すると、それが何であれ、あなたは自分自身を拒んだことになるので、 聖霊はあなたにそれを否定しないようにと教えなければなりません。
何事も間接的に為されるように、取り消すということも必ず間接的に為されます。
あなたが創造されたのは、ただ創造するためだけであり、他のことを見るためでもなければするためでもありません。
こうしたことはただ生きる意志を間接的に表現したにすぎず、その意志は死とか殺人のような気まぐれでとんでもないでき心のために遮断されており、そんなでき心をあなたの父は分かち合ったりしないのです。
あなたは分かち合えないものを分けようとする困難な仕事を自分で背負い込んでしまっています。
そしてこんなことが出来るようになると思っているうちは、習えばできるようになるのは確かなことを全て信じようとはしないでしょう。
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したがって 聖霊は、あなたには絶対に習うことなど出来ないというものを見せることから教え始めなければなりません。
聖霊の教えは間接的ではありません。
ただあなたの思考体系は意味がない、ということが分からなくなるほど歪められ複雑になってしまっているので、分かりやすい真実そのものをまずそれに導入する必要があります。
聖霊は単にその思考体系の基礎を見たうえで退けるだけです。
ところが自分で作ったものを取り消せもせず、そのために鬱陶しく感じさせられる重荷からも逃げ出せずにいるような者は、それを見抜くことが出来ません。
それに欺かれてしまうというのも、自ら選んで思い違いしているからです。
勝手に思い違いする者たちは接近するものをただ攻撃することしか知りませんが、それはそんなごまかしの弱みをついて攻められるように思えるからです。
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