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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編15章 「聖なる瞬間」より
15-5 聖なる瞬間と特殊な関係
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聖なる瞬間は、 聖霊があなたに愛とは何かを教えるのに、最も役立つ学習の手立てだと言えます。
その目的は裁きを下すのを全面的に中断することだからです。
裁きはいつも過去のことに基づくのですが、それは何につけ過去の経験をもとに判断するからです。
過去なくしては、裁きは不可能になります。
なぜならそれなしには何一つ理解できないからです。
自分には何がなんだか分らないということが本当に明白になるので、裁こうとなどしないでしょう。
こうなることをあなたは恐れていますが、それは 自我なしでは全てが大混乱になると信じるからです。
しかし、 自我がなくなれば全てが愛になると、私があなたに保証します。
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過去に行ったことが 自我の主な学習の手立てになっています。過去から自分に必要なものをはっきりさせることを習ったうえで、それを自分の気に入るように満たす方法を身につけたわけだからです。
以前述べたように、神の子としての身分にある者たちを部分的に愛そうとすると、そうした関係に罪悪感が入り込んでしまい、非実在的な関係にしてしまいます。
もしあなたが全体で一つになるものを部分的に取り出し、自分にはこんなものが必要だと想像したことを、その一部分が満たしてくれるものと当てにすれば、分離によって自分を救おうと企てることになります。
こんなことをしておいて、罪悪感を抱かずにいられるはずがありません。
なぜなら分離することは罪悪感の源であり、そうすることで救われたいと願うとは、自分は一人ぽっちだと信じていることになるからです。
孤独になると確かに罪悪感を抱かざるをえません。
自分は孤独だと感じるとすれば、父と神の子とが一つである姿を否定していることになり、それはすなわち実在を攻撃するに等しいからです。
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実在を部分的に愛そうとしておいて、愛とは何なのか理解することなどできません。
神はあるものを特別に愛したりなどしないのであって、もしあなたがそれと同じように愛そうとしないのなら、どうして愛を理解できるでしょうか。
特殊な関係の特別な愛が自分に救いを差し伸べてくれるものと信じるなら、分離することが救いだと信じているわけです。
贖罪は完全に平等ということにこそ救いを見いだせます。
どうして、神の子としての身分にある者たちのある特別な部分が、他の者以上にあなたに与えることができると決められるのでしょうか。
過去の経験があなたにこれを教えました。
しかし、そうではないと聖なる瞬間は教えます。
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罪悪感のために、特殊な関係にあるものは誰もが少し恐れを抱きがちです。
だからこうした関係は本当に頻繁にころころ変わります。
変わらぬ愛だけに基づいているとは言い難いのです。
そして愛に恐れが入り込むと、もはや完全な愛ではないので信頼できなくなります。
聖霊はあなたが作ったものの説明役として働く時、あなたが 自我を支持して作った特殊な関係なども、いずれは真理につながる学習体験として使います。
聖霊の教えのもと、どんな関係もみな愛の教訓となります。
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聖霊はだれひとり、特別なものはいないと分っています。
しかし 聖霊はあなたがつくった特殊な関係も知覚できるし、そんな関係をあなたに破滅させずに、清めてくれるでしょう。
あなたがそんな関係をどれほど神聖とは言い難いものにしてしまっても、 聖霊はあなたがそれから恐れを取り除かせてくれるだけ取り除いて、神聖なるものに変えることができます。
どんな関係にせよ 聖霊にその手助けを頼めます。
もし、あなたが快くその関係をただ 聖霊の役に立てるように使ってほしいと求めれば、その関係のために胸の痛む思いをせずに済むと安心できます。
罪悪感というものは全て何らかの関係を自分が利用しようとすることから生じます。
聖霊に利用してもらえば、愛に満たされます。
それなら自分が必要だと想像している何かを手放すのを恐れることはありません。
それは関係をだいなしにしてしまうだけだからです。
あなたに必要なのは 聖霊が必要とするものだけです。
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ある関係を別のに代用しようとすると、 聖霊に利用してもらうために差し出したことにはなりません。
愛の代用品など絶対にないのです。
もし愛のある面を別のに代用してみようとするなら、一方の価値は減少し、他方にもっと価値があるとみなしたことになります。
双方を分離しただけではなく、両者に不利な裁きを下してしまったとも言えます。
ですが、あなたは先ず自分自身に対して不利な裁きを下したのでしょう。
そうでなければ兄弟たちが本来の姿でなくなる必要があるとなど決して想像しなかったはずです。
自分自身を愛のないものと見なしてしまわない限り、兄弟たちを自分と同じように愛に欠いていると判断できなかったでしょう。
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自我は色々な関係を断片的に利用するので、往々にしてよりこま切れな関わりかたになります。
ある面の一部分が目的にかなっているかと思えば、それよりもう一つ他の面の異なった部分をいくつか好んだりします。
このようにして、 自我にとっての実在を勝手気ままに組み立て、あなたが求めれば、存在しないものの姿をそれらしく描写して見せます。
実際には天にも地にもそれに似たものは何一つないし、どんなにそんな姿を捜しても、それは真実ではないので、見つけることなどできません。
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地上では、誰もがみな何らかの特殊な関係にあると言えます。
天国ではこうしたことはないのですが、それはさておき、 聖霊は地上でのそうした関係にあって天国にいる気分になれる方法を知っています。
聖なる瞬間においては誰一人として特別ではありません。
個人的に必要だからといって、兄弟を違ったように見せるよう誰にも強いることはないからです。
過去に基づいた価値観がなければ、全ての人同じで自分と似ていると見るでしょう。
それに自分と兄弟との間に少しの隔たりも見ないでしょう。
聖なる瞬間には、あなたは一つひとつの関係を、現在だけを知覚するときに見える姿に見るのです。
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神は今のあなたを知っています。
何一つ記憶してはいません。
今神が知っているあなたこそ、今までずっと知っていたそのままのあなただからです。
聖なる瞬間は、過去から知覚したことを全て持ち出して、神が知っていることを反映させ、あなたが兄弟たちを裁くために作った評価基準というものを取り除いてくれます。
一旦それがなくなれば、 聖霊はその代わりに自分の評価基準を使います。
聖霊の評価基準はまさに神そのものです。
聖霊は時間を越えたものである理由がただここに見いだせます。
聖なる瞬間には、過去から解放され、あなたは自分の心の中に愛があると分るので、外を見て愛があると思ったところから、後ろめたい思いをしながらひったくる必要はありません。
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あなたの関わる関係は全て聖なる瞬間に祝福されるというのも、祝福は限られていないからです。
聖なる瞬間には、神の子としての身分にあるものは全体的に得るところがあり、あなたに祝福されて心は一つとなり、その身分全体があなたと一つになります。
愛の意義は、神が与えてくれた意義そのものです。
それに神のとは違うのを与えると、どんな意義にせよ、全く理解できなくなります。
神は一人ひとりの兄弟を、あなたを愛すると同様に愛するのであり、あなたに注がれる愛に劣ることなく、勝ることもありません。
神は全ての人を同等に必要としており、あなたもそうです。
時 間のうちでは、あなたは私の指示にしたがって奇跡を差し伸べること、そして 聖霊にあなたを捜している人たちを連れてきてもらうようにと言われてきました。
しかし、聖なる瞬間には、あなたは神と直接結ばれるし、兄弟は全員 キリストに加わります。
キリストのうちに心を一つにした者は全く分離してはいません。
なぜなら、 キリストとは神の子としての身分にあるものが分かち合う真の自己であり、それは神が自らを キリストと分かち合うのと同じです。
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あなたはそうした神に属する真の自己というものに、裁きを下せると思うのでしょうか。
神は、自分の愛を是非とも広めたいとの思いから、それを審判の及ばないのもとして創造したのです。
自分の内に愛があれば、あなたに必要なのはその愛を拡張することだけとなります。
必要なことは一つだけだから、聖なる瞬間に、必要なものが重なって矛盾するということはありません。
聖なる瞬間は永遠の世界に達し、神の御心に届くからです。
そして、ただそこにおいてのみ愛に意義があり、そこでのみ愛を理解できるのです。
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