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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編15章 「聖なる瞬間」より
15章15-1 時間の二つの利用法 その1
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何一つ気がかりなことや心配ごとや懸念することもなく、ただいつも本当に落ち着いて穏やかな心持ちでいられるとは、どんな気分なのか想像できるでしょうか。
こうしたことを学び、ただそんな気分を味わえるようになるために、時間というものがあります。
神の教師は、自分の教えることだけをあなたが学ぶようになるまでは満足できません。
あなたが終始一貫して脇見をせずに学ぶようになってはじめて、教師としての機能を果したことになります。
この時がきたら、もはやあなたには教師も学ぶための時間も必要なくなります。
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あなたが失望し、苦しむ原因になるかもしれないことが一つ予想できます。
それは「こうしたことには時間がかかるし、 聖霊の教えの成果が見られるのはずっと先だ」とあなたが信じているということです。
しかし、こうしたことは先のことではありません。
なぜなら 聖霊は時間を独自の方法で利用し、それに束縛されないからです。
時間は、 聖霊が教えるときにはその味方になります。
時間があなたを心身ともに蝕むことはあっても、 聖霊を蝕むことはありません。
時間がたつにつれて心身ともに消耗し役立たなくなるように思えるのは、単にあなたが 自我と一体感をもっている為であり、その 自我は破滅させることを信じていて、そのために時間を利用します。
自我は 聖霊と同様、教えに伴う目標と結末の必然性をあなたに納得させるために時間を利用しようとします。
しかし 聖霊の目標は生命であり、それに終わりはないのです。
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自我は時間と組んではいますが、味方ではありません。
自我は生命を信用しておらず、死も信用していないので、それにあなたに望むことを自らは耐えられません。
自我はあなたの死を望みはしますが、 自我そのものの死は望んでいません。
だから、 自我は奇妙な信仰心にもとづき、墓場のむこうまであなたを追いかけられるという確信を得たに違いありません。
そして、あなたに死ぬことで心の平安を得る事を望まず、あなたに地獄では不滅の存在になれると持ちかけます。
天国のことを話しはしますが、天国はあなたのためにならないと説き伏せようとするだけです。
罪悪感を抱く者がどうして天国を望むことなどできるでしょうか。
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自我と一体感をもつ者は地獄を信じざるを得ません。
その人たちの悪夢や恐れは全て地獄から連想したことです。
自我が地獄はこれから先のことだと教えるというのも、 自我の全ての教えがそれに向かっているからです。
まさに地獄が 自我の目標です。
自我は最終的に死と消滅を目指しているとはいえ、それを信じているわけではありません。
死を目指し、あなたの死を切望しますが、それで満足する気にはなりません。
自我の教えに従う者で、死に対して恐怖心を抱かないものは一人もいません。
ところが、もし死ねば苦しみが終わるだけだと思えたら、恐れたりするでしょうか。
ここにあげるつじつまの合わない変なことを、前にも 自我の思考体系の中で見たことがありますが、これほどはっきりと見えたことはありませんでした。
あなたの忠誠を保つためには、 自我が恐れを遠ざけてくれているようにあなたに思わせる必要があります。
とはいえ、 自我そのものを維持する為には恐れを抱かせる必要もあります。
またしても 自我はこの両方を手がけて、あまりにも容易に繰り返しやってのけます。
それもこんな 自我の矛盾した目標を一緒に保つために、意識的に解離させて双方が和解しているように思わせるというやり方でやってしまいます。
したがって、天国に関する限りは、それに対する願望も死ねば終わりであると 自我は教えます。
ですが、あなたと 自我を分離することはできず、 自我には自らの死など考えられないので、あなたをまだ追いかけることになりますが、それは罪悪感がいつまでも続くからです。
所詮 自我の言う不滅性とはそのようなものです。
そしてこのようなことを 自我の言う時間が支えるのです。
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一寸先は闇、未来は地獄だから今ここが天国だ、と 自我は教えます。
自我の声が唯一の声だと思っている人を実に狂暴に攻撃し命を奪おうとする時でさえ、なおも地獄のことを話そうとします。
ここも地獄だと言い聞かせて、地獄から忘却の淵に飛び込めと命令します。
自我が平然として誰にでものぞいてみさせるのは過去だけです。
だがそこでさえ、過ぎ去った時の唯一の価値はもはや存在しないということだけでしょう。
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自我の時間の利用方とはなんと暗くて絶望的なのでしょう。
背筋をぞっとさせるものです。
過去と未来は同じであるべきだと、 自我が狂信的に主張する裏には平安を脅かす極めて陰険な思いが隠されています。
自我は最終的な脅威を公に見せたりはしません。
それというのも、 自我の崇拝者には 自我が逃げ道を提供できるものとまだ信じさせているからです。
しかし罪悪感を信じていると、当然地獄も信じるようになり、そうなるのが常です。
自我が地獄の怖さを体験させてくれるとすれば、それはこの世界を地獄さながらにするやり方によってだけですが、ただそうやって将来起こることをいつも前もって味あわせてくれます。
自分が地獄にいくのは当たり前だと考えている者で、刑罰を受けずに穏やかに片付くと信じることができる者は一人もいないからです。
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聖霊は、地獄というものなどない、と教えています。
地獄とは、単に 自我が作り出した現在の状態に過ぎません。
地獄を信じてるあなたには現在のことが理解できなくなっているわけですが、それはあなたが現在を恐れているからです。
聖霊が着実に天国へ導いてくれますが、 自我はこれまた着実に地獄へと駆り立てます。
聖霊は現在のことだけ知っているので、それを使って、 自我が今このときを役立たなくしてしまう恐怖心を取り消そうとします。
自我のやり方で時間を利用するうちは恐れから逃れられません。
なぜなら、 自我の教えによれば、時間は罪悪感をよりひどくさせ、ついにはその思いでいっぱいになり、いつまでも仕返しを要求することを教える手立てに過ぎないからです。
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