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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編「14章 真理をめざす教え」より
14-11-2 真理の識別法 その2
ACIM-Text- chapter14-11-8
罪悪感でがんじがらめになって、そのままでいるしかない状態に陥っている者が、どうやって自分は罪悪感のない状態にあると自分に立証できるでしょうか。
それは、不可能なことです。
ただ、それは絶対に不可能だと自分から快く承認する必要があります。
少々のことは自分でうまくやれるとか、自分の生活のある面は一人で何とかできるなどと思うのは、 聖霊からの導きを制限しているだけです。
こうして、自分勝手に 聖霊を当てにできないとしてしまいます。
そして、当てにできないというのは根拠のないことにも関わらず、それを理由にして 聖霊に秘密のレッスンを隠したままにしています。
そして、そんなふうに、どれだけ指導してもらうことを受け入れるか制限してしまう為、自分の抱えている問題を全て奇跡に頼って解決するということができないのです。
ACIM-Text- chapter14-11-9
聖霊が、あなたにほかの人と分かち合って欲しいと思うものを、あなたに与えずにおくようなことをするとあなたは思っているのでしょうか。
あなたの抱えている問題で、 聖霊があなたに奇跡を差し出すという方法で解決できないような問題など何一つありません。
奇跡は、あなたのためにあります。
そして、あなたの恐れや苦しみや試練はみなことごとく取り消されています。
聖霊は、そうしたことを全てあなたに代わって受け取った上で、明るみに出し、そうしたことは決して実在しなかったと認めたのです。
秘密になっていたレッスンは、どれも全て 聖霊がすでにあなたのために明らかにしてくれました。
あなたが、自分自身に教えようとしていることは 聖霊がもう訂正しています。
そのような教えは、 聖霊の想念の中には少しも存在しません。
それというのも、過去のことが 聖霊を束縛することはないからです。
したがって、あなたが過去に縛られることもありません。
聖霊は、時間というものをあなたが見るようには見ていません。
聖霊が、あなたに奇跡を差し出す度に、その奇跡があなたの時間の使い方を訂正し、 聖霊の使い方にしてくれます。
ACIM-Text- chapter14-11-10
過去からあなたを解放してくれたその 聖霊が、あなたは自由だと教えてくれるでしょう。
聖霊は、自ら達成したことはあなたのためにしたことだからと、それをあなたのものとして受け入れさせようとします。
聖霊が成し遂げたからこそ、その成果は確かにあなたのものです。
聖霊は、あなたが自分で作ったものから自由にしてくれたのです。
あなたは、 聖霊を否定できますが、 聖霊に頼んだことが無駄になるということは有り得ません。
聖霊は、いつも自らの贈り物をあなたの贈り物の代わりに与えられます。
それに、 聖霊の明るい教えをあなたの心にしっかりと定着させます。
それゆえに、自らそこに在ることで神聖な場と定めたその心の中には、罪悪感のもとになる秘密のレッスンを留めることはできません。
聖霊がそこにいて、あなたを通して働くということを神に感謝しなさい。
そして、その働きは全てあなたのものです。
聖霊は、あなたに奇跡を差し出し、あなたはその一つひとつを、自分を通して 聖霊に行わせることになります。
ACIM-Text- chapter14-11-11
神の子は、いつまでも分かつことのできないままでいるでしょう。
私達は、神の内に一つに保たれているように、神の内に心を一つにして学んでいきます。
神の教師が、自らの創造主に似ているように、神の子も似ています。
そして、神はその教師を通して自身ならびに神の子は一つであるということを公に示しています。
静かに耳を傾けることにして、抗議はしないようにしなさい。
一つであるという奇跡を教えさせるのであり、その教師のレッスンを前にして分離は消滅してしまいます。
この世界において、その教師のように教えなさい。
そうすれば、あなたは自分がいつも父のように創造してきたことを思い出せます。
創造の奇跡には、聖なる不滅の刻印が押されているので、創造は絶えることなく続いています。
これが、神が自ら創造した全てのもののために願っていることであり、創造されたものも全てこれを願って心を一つにするのです。
ACIM-Text- chapter14-11-12
自分は何一つ知っていないということを常に覚えていて、あらゆることを学ぶ気になった者には学べるでしょう。
しかし、自分自身の力を当てにしようとすると、学ぶことが身につきません。
あなたは、すでに自分は知っていると思い込んで、学ぼうとする意欲を損なってしまっています。
あなたが、自分の心は平安だと言えるかどうか試してみて、確かにそうだと言えるまで、何一つ自分が理解しているとなど思わないようにしなさい。
心の平安と知ったという想念とは、一緒に生じることであり、決して片方だけを見いだすことはできないからです。
この二つは、分離しないというのが神の法則なので、どちらもがもう一方を伴うことになります。
それは、互いに原因と結果という関係にあるので、一方を欠いているときにはもう一方も欠けているのです。
ACIM-Text- chapter14-10-13
理解することに伴う結果が自分になければ知ることはできない、と認識した者のみが、本当に学ぶことができるだけです。
こうしたことからすれば、その人は何を差し置いても心の平安を望んでいるに違いありません。
自分が知っていると思うなら、必ず心の平安を失うことになります。
しかし、それは平安を教える教師を見捨てたからです。
何も知らないということを、完全に認めさえすれば、心に平安がもどってきます。
その教師のために 自我を見捨てて、戻ってきて欲しいと招待したことになるからです。
自我には何一つ頼まないことです。
あなたのなすべきことは、これだけです。
聖霊が入れるように開かれた心はみな、ことごとく 聖霊で満たされるのです。
ACIM-Text- chapter14-10-14
もし、あなたが平安を望むのなら、攻撃することを教える者に見切りをつけなければなりません。
平安を教える教師が、あなたを見捨てるようなことは絶対にありません。
あなたが、その教師のもとを去ったとしても、教師は決してその仕返しをするようなことはしません。
あなたをよく理解しており信頼しているからです。
その信頼は、その教師自身の創造主に対する信頼と同じように固いものです。
そして、創造主を信頼するとは、創造されたものをも信頼することを含むはずだと分かっています。
このように、終始一貫しているということに、教師の神聖さを見出だせるのです。
そして、それを自ら放棄するつもりはないので見捨てるはずがありません。
あなたの全一な姿を常に念頭におき、この教師は平安という贈り物を、その必要性を感じて受け取る気持ちのある者には誰にでも与えられます。
心を開いていれば、平安はあなたのものになります。
あなたには理解力があり、そこから心の平安が必ず生じます。
ACIM-Text- chapter14-11-15
その両方とも、神の力によって生じるわけですが、その力が確実に神のものであるように、確かにあなたのものでもあります。
あなたは神を知らないと思っていますが、それは単に、一人では神を知ることは不可能だからです。
しかし、神があなたを通してする偉大な業を見てみなさい。
そうすれば、そうしたことを、神を通して自分のものだと確信するはずです。
自分の力のものだとするにはあまりにも素晴らしすぎる、と思わざるを得ないような結果をもたらせる源を否定するのは不可能です。
その源である存在のするに任せなさい。
そうすれば、あなた自身、力が溢れて、自分の心の平安を乱すものは何も無いことに気づくでしょう。
これこそ、自分がよく理解していると再認できるかどうか識別する方法です。
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